インタビューや「判る」ことについて

あ、先日の日記の、「インタビューさせてもらったとき」ですが、「Through the Ashes of Empires」の前ですな。
2003年の11月くらいかな?
 
もう(書いて)いいよね、あれは通訳として、電話インタビューどした。
同時は某Eという音楽雑誌の通訳を副業でやっていて、当日の昼に
「今夜ロブ・フリンのインタを……」
と連絡があって、人間、間が悪いよねえ、私2000年くらいからマシヘファンだけど、ちょうどちょっと忘れてた時期でもあったのだよ(まあ彼ら的にそういう運勢の時期だったのだろうね、色んな人に忘れられるという)。
し、しかしロブ・フリンかよ!!!
ってことで会社を早退しw、買ってなかった「Hellalive」を買って、インタビューにのぞんだ
 
てか、ほんと後悔したなあ、あんなに、いや、こんなに好きだったのに、ちょうどフォローをサボってた時期かよ! みたいな。
 
ロブのほうがケータイだったので(イギリスかイタリアだったかな)、電波が悪く、二度ほど電話が切れたw
けどちゃんと電話をつなぎ直して、インタビューを続けてくれたロブ。
 
私が、
「ロブはいやな仕事もきちんとこなす」
と彼を評価してるのは、これがあったからなのだw
 
だって、私が緊張しすぎて、ただでさえ苦手なインタビューが、より微妙な空気になり、ロブの、「こいつインタビューの内容判っとんのかいな」という受話器越しに伝わる猜疑心に負けそうになってたもんねww
特に日本と微妙な関係(まあいわゆる「日本嫌い」というのは違うと思うが、ってかそんな心狭い人間じゃねえだろうと思うのだがw)だった時期だし、やりにくかったんすよw
 
で、最後に、まあ私的な話で仕事中こんなこと言ってはいけないのだけれども、自分がマシヘファンだってことを伝えたとき、
「とりあえず私はただの通訳なので――」
と言ったら、
「ああ! だよねw!」
と納得していたもんねw
 
 
インタビューすると、そのアーティストがどういう運勢(波)にあるか、がけっこう判る。
(言ってる内容でなく、対応とか態度で。)
バンドマンなんていい加減、ってイメージが世間にはあるけど、実は、「きちんとしている」というのは重要で、このとき、まあファンってのを度外視しても、「ああ、ロブはきちんとしているな」と思った。
 
あ、と言ってこれは、前回の来日のとき、インタビューの時間に渋谷の街に消えたフィルがどーのと言っているのではない、断じてないwww
 
 
あと、つらつら、いいすかね、私は、まあ今でも歌詞対訳の仕事をやっていて、去年はHOLY MOSESの名古屋公演のときにちょっと会ったりしたけども、まあ、前線には全然いないわけで、と言って前線にいたことなど一度もないけれども、しかし、昔は月に数本インタビューやその起しをやって原稿を提出していたわけで、電話インタだけでなく、現場のインタもやらせてもらったし、だから、「え!」ってアーティストに仕事で会ったりしている。
 
で、前回のマシヘのときも、サイン会と、あとまあいろいろあったんだけど、今回が、ほんとに初めて、「完全ないちファン」として接したことになったのだけれども、色々考えちゃった。
 
もし数年前に諸々の理由でインタビュー通訳の仕事をやめなければ、今回も仕事で会ってたかも知れないし、だからそのぶん時間的に落ち着いて話せたかも知れないし、でも、仕事はあくまでも仕事なのでサインもらうとかは、私は決してしなかったんすよ、仕事してたとき、だから、特に、「お金が発生する」仕事となると、そのバンドのファンだの何だのってのはほとんど出さないことにしていたので、逆に苦しかったかも知れないなあ、とか。
 
 
まあインタ仕事はもうしないにしても、でも、自分が何ができるかについても、考えちゃった。
ってか、英語だけでなく、日本語でも、例えばガーリックボーイズとか、MCを残しておきたいと痛切に思うんですよ、だから、海外アーティストのMCも、なるべく聞き取って訳して、特に今はようつべがあるし、何か、そういうこと、もっと自分は(無償で)してくべきではなかろうかとか。
HATEBREEDも、こないだけっこう重要なこと言ってたものね、で、それが通じてないことがあるとすると、やっぱりそれは惜しいと思う。
 
つか、最近、海外アーティストってよくしゃべらね?
もちろん英語で。
最近、だけじゃないかも知れんけどww
去年のMEGADETHもつらつらいろいろ言ってたもんなあ。
 
てかさ、MCもそうだし、あと、特に歌詞、そしてインタもそうだけど、私、「訳す」という行為に、疑問を持ってるんすよ、疑問と言うか、まあ仕事でやってることだからこの世から翻訳通訳という仕事がなくなるとわしは食いっぱくれるけどw、でも、逆に、仕事でやってるから、いかに自分の解釈フィルタが訳文に反映されるかが、気になるんだよね。
訳者の解釈フィルタがない訳文なんて、この世に存在しないんすよ。
特に日本語はその傾向が強いな。
 
最近英語以外の言語をやっていて、さらに日本語の特殊性を感じている。
日本語って感情、ニュアンスの言語だなあと。
もちろんどの言語もネイティヴにとってはそうなのだが、特にイタリア語を始めて、欧州言語がいかに「パーツの言語」であるかを実感して、日本語とのあまりな違いにあらためてびっくりした。
 
例えば
「〜だよね?」
って訊くとき、英語は
"〜isn't it?"
みたいにするじゃない、これも、ただ単語並べるだけだと思わね?
日本語って、
〜だよな?
〜だっけ?
〜ですよね?
〜でしたかな?
とか、いっくらでもバリエーションがあるわけ。
で、これ全部ニュアンスが違ったり、話者が特定できたりする。
 
もちろん欧州言語でも、単語の選び方とかでその人の階級から性別から年齢から、判るのだけれども、でも、何かが、日本語のありかたと、決定的に違う。
 
だって、イタリア語で「〜だよね?」

"〜vero?"
なのだが、これって、
「真実?」
という単語を置いてるだけだもんw
 
だから「日本語に訳される」というのは、特に、訳者のフィルタが入るんですよ、で、私は、それが、まあ邪魔だな、と思うわけ。
 
だから、海外アーティストを愛する人には、インプット、聞く・読むの力を鍛えて、「自分で」解釈できる人が増えてくれたらなあと、今回切に思ったんすよ、ある意味、「訳者として読み手の邪魔をしたくない」という、たぶんこんなこと考えてる翻訳者はいないかも知れんな、判らんけど、何か、ライヴのMCで、自分がほとんど判ることを、だって、そのアーティストがほんとにそこで生で言ってることだもの、ファンの人に、判ってほしいなあととても思う。
バンド側も、「俺の言ってること判ってるのかなあ」と半信半疑で、まあ話してるだろうけれども、ひとりでも多く、「そのまま」彼らの言うことを「判って」くれる人が増えたなら、アーティストとしても嬉しいだろうと。
 
ま、「言葉じゃない」とか「言葉が通じなくても伝わる」という側面も重要だし音楽の醍醐味のひとつでもあるので、それはそれで、バンドとファン、互いに、そういうコミュニケーションにおける、「通じた!」という感動もいいなあとは思う。
それに、なかなかひとつの言語を、インプット面だけでもものにするというのは、簡単なことではない。
自分がイタリア語をやって、そのスローペースに、「www」と思うこともあるよ、これだけいつも「語学学習さえできれば満足」みたいに言って、最近ぜんっぜんやってないものw
 
しかし、もし「言葉」をほかのものより重視するところがあるなら、そして、アーティスト側に、「あえて言葉でも伝えたい」ということがあるなら、「判る」ということは「寄り添う」とけっこう同義ではないかと思うこともある。
確かに、「言葉にしたとたんにマジックが消える」ということも多々ある、ライヴなんてその最たるものだろう、しかし、相手も「人間」で「言葉」を操る以上、「道具としての外国語」は決してむだにはならない。
 
これは、英語をやらない人を批判するものでもなく、ただ、私の人生の命題のひとつであるらしい、「判る」ということについて、このツアー中に考えた結果の、私の、まあ意見てより、「気持ち」、ですな。
 
で、こんなこと書いて、あえて、ようつべの動画のインタやら訳してみる、ってことをやるかも知れないしね、「わしフィルタじゃけど」と注釈つきでね。
 
寝る。