(追記あり)2009年記2-「問題を解決したくないのは、問題を解決したくないからだ」

久々ですが、去年2月のぶんの個人用日記抜粋。
このころはまだ書いてる量少なかったので一ヶ月まとめて。
 

090216
結局私は本当の本当に「私だけ」の問題には向き合いたくないのだった。
ここにも、一度も書いたことがないのだった。
(中略)
それだけ恥ずかしいんだ。
(中略)
それと、自分の苦しみを見事に「一度も」是認したことがないのは、同じ根っこからきている。
そしてまた、私は「絶対的に」ひとりでいたい、ってか、そう願っている自分がいる。
人とのかかわりはできればしたくない。
メール返さないのも結局はそれだろ?
もちろんそれは万が一いざこざが起ったりして平穏が乱される可能性を見ているからなのだが……ってことから考えると、自分で見たくない自分の問題を見ないのは……いや、別に平穏が乱されるからなわけではない、ってかむしろ自分が見たくないところでは常に嵐が起っていて……ああ、嵐を自覚したくない、と。
 
ってかよ、だから、私はほんとは問題なんか解決したくないんだってば。
今の問題に向き合いたくなんかないんだってば。
(中略)
 
基本的に、このパラドックスは常に存在してるんだが。
問題を解決したくないのは、問題を解決したくないからだ、という。
解決したくないのは解決したくないからで、そこにはまるから何も変らないのだが。
苦しんでいたい、のだろうけれども、もうひとつ別の何か……復讐とも違う、なあ、ロブ、何なんだろうな?

 
追記(↓ここから↓)
 
「問題を解決したくないのは、問題を解決したくないからだ」
というのはロジックとしては至極当然なので、なぜ↑で私がこれを「パラドクス」と言ってるのか、判りにくいと思う。
根底には、このころよくやっていた考えかた、
「その問題が解決したら困ることを考えてみる」
というのがある。
例えば、何度か例に出してるけど、
「太っていて男性に縁がないのでやせたい」
と思っているのだけれども、なかなかやせない。
そこで、
「ほんとにやせたら困ることはないか?」
と考えてみて、
「やせてもなお男性と縁がなかったらつらい。だから太っていることを言い訳にしていたい」
というような、意外な本音がみえてくる、とか。
 
この考えかたはかなりの確率で自分の本音発掘に役立つのだが、私の場合、
「なぜこの問題を解決したくないのか?」
と考え、
「この問題を解決すると今恐れていること、例えば人と接する、というようなことを、もっとしないといけなくなる」
という答えが出、ここをさらに追求し、
「なぜ恐れている『人と接する』ができるようになると困るのか」
とか考えると、
「その恐れがなくなると人ともっと接するようになるけどそれが怖いのでその恐れは失いたくない」
ということになってきて、つまり、
「問題を解決したくないのは、問題を解決したくないからだ」
になってくるw
(書いていてもよく判らないw)
 
しかし、今考えると、このパラドクス(のようなもの)は根本から間違っている。
と言うのは、
「人と接するのが怖くなくなる」
が実現するということは、その時点ではすでに「人が怖い」というのが解決しているのであり、今以上に人と接することになっても、「人が怖い」という恐れはなくなっているので、別に何とも怖くないはずなのだw
(↑ここまで↑)
 

090225
受け止めてもらったじゃないか、ロブに。
思えば、ロブはこれまで私にとって唯一の、あっちゃんの言葉を借りれば「細い線」だったんだ。
ほんとに、ロブだけだ。
唯一の。

「あっちゃん」は櫻井敦司
「細い線」ってのは、BUCK-TICKに"細い線"って曲があって、そっからきてる。
 
2月はほんと少ない、以上です。