追記あり-男同士の世界

最後に四角で囲んだ追記あり
 
 
SLIPKNOTのメンバー同士の恋愛妄想をしている人々を発見したぜ!
 
しかし、私は男同士の恋愛系は苦手なんだよな、でも、それが好きだったら、仲間がいっぱいいたかと思うとさみすい(´・ω・`)
 
いや〜、でも、やっぱり、そうだなあ、考えちゃうんだよな、なぜ、女性が、女性抜きの恋愛ものに走るのかということをな。
 
昔からこれについてはたまに考えていて、うん、やっぱり、彼女たちは、女性という記号のない世界に行きたいんだと思う。
世間の、特に日本の、非常に画一化された「女性の記号」に自分が当てはまらない場合のひとつのアサイラムとしての、ああ、ボイーズラブって言うんだっけ、こういうジャンルって。
 
私ももちろん女性の記号を生きるのが面倒なので、小説でまで女性性について考えたくないということで、真面目な小説書くときもほとんど男しか出さないし、そのほうが……やっぱり世界が単純に描けると思う。テーマがぶれないってか。
 
不真面目にバンド系で小説書く場合も、どうしてもあの世界は男がほとんどなのでいきおい男性ばっかりになるので、むりしてマネージャーに女性を配置したり、がんばってきたけど、もう別にいいんじゃないのかなあと思って、今書いてるのは男しか出ない。
 
でもどーしても恋愛ものにしようとは思わない。
それは多分、恋愛がそんなに人生で重要要素に思えないからかも知れない。
ってか、人間の抱く感情のなかで、恋愛感情がいかほどに大事かと言うと、それほどでもないのではと思う。
恋愛感情は必ず期限があるし、だからこそ美しい、というのもアリだとは思うけれど、どっちかと言うと恋愛感情って人が他人に持つ感情のなかでは初期段階のもので、まあ同時にほかにはない恍惚感があるから人生において一般的には重要視されるのだろうけれども、しかし、すべてがそれに帰結するというものではない、でも、世間ではやる歌、ドラマ、小説、映画、などからすると、どうも、人間の人生は、すべてが恋愛に帰結するかのように思わされるほど、それに関する作品が多い。
 
ああ、そういう世間へのアンチテーゼなところでの、恋愛無関心なのかも知れないな、ボーイズラブがどうの、ってことではなく。私の場合。
 
自分がボーイズラブ派じゃないから、考察するのは無責任かも知れないけど、以下考えたこと。
ボーイズラブの世界、私はちらっとしか読んだことがないけれど、何となく、「恋愛」という要素にて、自分(作者の女性、あるいは読み手の女性)をその世界に介在させているような印象がある。
ってのは、うーん、やっぱ、世間からの、「女は恋愛しててなんぼ」というプレッシャーが強すぎるからではないかと思うのだが。
「恋愛=女性のもの」という設定が、世間で非常に強く、女と生れたからには恋愛してないとおかしい、くらいな押しつけがある気さえするのだけれども、そのプレッシャーだけ受け取って、しかし、実際はそれほど恋愛体質じゃない女性たちが、「恋愛=女性=自分」という図式のもとに、男同士の恋愛の世界を愛する、そこでは、自分たちは世間から押しつけられる女性の記号からフリーでいられる、しかし、自分は介在させたい、それが、恋愛感情そのものであり、世間からの、「女=恋愛」という図式に無意識に屈するなかでの、やはりひとつのアサイラムとしてのボーイズラブ、というような。
 
ともかく、アサイラム、逃げ場なのは間違いないと思う。
そういう点では私も同じなのかも知れない。
私は、生きたかった男の世界では生きられないし、自分が望むようには受け入れてももらえない、だから、言葉だけで、男の世界に入る。
と言っても、今ははっきり判るけれど、私は自分を女性と認識しており、また、実は女性らしさにも憧れているのだけれども、「人」として存在したいという願望は、男性が男性である限り実現しない(やはりいまだに男性による女性の認識にはあまり期待していない)から、じゃあ、女性という記号を排除した世界なら、「人」と「人」の関係が描けるだろうと、そしてそれがたまたま男同士でと言う(男性は男性を人間としてみる)、そういう感じ?
 
今日はそうとう適当に書いたから、あまり真に受けずに読んでください。
 

追記
 
うーん、やっぱ、自分は元来ちゃねら気質であるがゆえに、茶化し小説を書くattitudeは、2chのネタスレ(例えばケリーキング同好会とか)的attitudeかな、基本は。
ともかく笑いにしたいんだよな、うんうん。