わしの場合3−直感について

↓に「わしの場合2」があります。
一気にうpする。
 
2の続き。
「え〜、本心でさえ自覚が難しいなら自分が『直感!』と思ってることもほんとはズレてるの?」
という失望の声?もあるでせうw
 
直感はそれがほんとに直感であれば一番正確です。
 
本心が自覚しづらい、というのは、本心が、様々な思惑や不安や怖れや期待や依存心や親と世間からの刷り込みや、ごちゃごちゃあらゆるもののせいで見えなくなっているからです。
 
で、直感こそ、「考えるのでなく感じる」ものであり、たいがい、「突然わく」パターンが多いでせう。
で、その、「直感」と思ったものが、ほんとに直感である場合は、疑念は普通わかないんじゃないかな?
 
直感、と言って、たとえば、人間、未来がどうなるか知りたいもので、それについて直感が働いたらラクなのになあと思うでせう。
しかし、直感がほんとに働くには条件があって、

  • その事柄に対して「こうなったらいいのに」という期待がない
  • その事柄に対して「こうなったら怖い」という恐れがない

この場合のみ、非常に精度の高い直感というものが働きます。 
 
こう書くとほとんど絶望的なようだがw
あの、「期待」については、これがたとえばとても素朴に「こういう感じがいいかも」みたいなものであれば、逆に叶っていくかも知れません。
(なので↑では「こうなったらいいのに」という、ちょっと恨みがましい書きかたをしたのです。こういうのはほんとは「期待」ってよりは正体は「依存」かも知れません。)
 
まあともかく、そんな感じで、直感はそれが直感であれば正確なものであり、また、それがほんとに直感であるときは疑念はわかない、と、あくまでもわしのパターンは、ですが。
 
 
で、直感は、脈絡なく突然わく、ということもありますが、ひとつ、人工的にわかせる方法があります。
これはジェームス・マーフィーが言っていることですが、
「自分に質問をすればその答えは自分のなかに湧き上がってくる考えとして出てくる」
というようなことを。
ちょっと今うろ覚えですので「考え」と書いたけど、これは「思い」や「感情」や「直感」でもよいと思います。
 
ただ、質問のしかたにもポイントがあり、やはり依存的な、あるいはすでに自分の幻想的感情が投影されたような、
「なぜ自分は成功しないのだろう」
みたいなのはあまり意味がありません。
でも、どういう質問がいいんだろう。
たぶん巷には「こういう質問」という型が出回ってると思うので興味ある人は探してみてください。
(わしは純粋に知りたいことを訊いてる感じかな。でもとーぜん他人のこととかは判りません。)
 
当然、質問したところで必ず答えがわいてくるわけでもねえです。
つか、答えがわくときも、質問してみて数時間後のこともあれば、翌日のことも、数日後のことも、あるいは知らないうちに答えを実践してた、なんてこともあるだろうし。
でも、答えがわかなかったときには、
「どうせ自分は直感なんて働かないから」
とかいじけないでくださいw
(いじける、というのは行動のパターンです。だからその行動を起す幻想的感情が必ずあって、むしろそれを癒すことがポイントになってきます。)
いじけたり、「あんなの嘘だ」とか思わず(ひつこいが「あんなの嘘だ」も行動のパターンです)、
質者のしかたを変えてみるとか、あるいは、その質問は実はそんなに重要じゃないのかも知れません。
 
 
てな感じで、心のこと、というのは公式通りにいかないことが多々あります。
いや、ほんとはすべて公式で表すことができるんですが。
でも、人間の頭脳や心において、いったいどのくらいの要素があるかと思いますかい?
それこそ何億という要素があるでせう。
だから、
「こう書いてあってやってみたが効果がなかった」
というときに、さっきも書いたように、
「いつも自分が考えるパターン」
にいかず、「自分の場合は」どうすると効果が出るかとか、考えてみてください。
 
(これは実はすべてのことに当てはまり、何かがうまくいかなかったとき、自分が「どう感じるか」「どう考えるか」、というパターンを観察してみてください。
特にそういうパターンに入り込まず、すぐに「どうしたらうまくいくかな」とか次のステップに進める人は、自分の前進を阻むクセがない人なので特に問題ないかと思います。)
 
(続)
 
と、続きを書こうと思ったが、まとまらないのでまたいつか思い出したら。