わしの場合2−自覚が難しい本心というもの

さて、
「わしはずっと「考えている」と思っていたけど、実際は徹頭徹尾「感覚」を指針にして考えたり書いたりしていたわけだな。」
という話の続きですが。
 
 
このへんの話に関する大前提というのは、
「人間は自分がほんとに何を感じているのかほんとは判っていない。あるいは、これは自分の考えだ、と思っていても、本心でそう思っているわけではないことが多い」
ということです。
 
たとえば言っていることなんかも、嘘、と言うと悪いことのようですが、むしろ、自分がほんとにどう思っているか把握しておらず、本心とずれたことを知らず知らずのうちに言っている、という感じです。
 
悩み、なんかもこの仲間で、人間は案外ピンポイントでないことを悩みと思ってうじうじ考えていることが多い。
わしが例のカウンセラさんのカウンセリングを初めて受けたとき、
「男性が嫌い」
という悩みで行きましたが、わしがそう言ったとき、カウンセラさんは即座に
「では女性はどう思いますか」
と訊いた。
そういうことなんですね。
 
 
先日書いた、自分のなかの「他者」と脳内対話する、というのにしても、わしは、
「このことで悩んでいる」
とか相談を持ちかけるのだが、対話してるうちに、相手が、
「ほんとに悩んでることは何?」
と訊いてきたりする。
あるいは、相手の言うことが納得できなかったりするときに、
「何でそんなこと言うのか」
と訊くと、
「本心を見ないようにして進もうとしてるから」
とか叱られたりするw
 
 
で、
「人間は自分がほんとに何を感じているのかほんとは判っていない。あるいは、これは自分の考えだ、と思っていても、本心でそう思っているわけではないことが多い」
ということですが、わしなんか、もっとどうしょうもねえ、というところがあって、カウンセリングを受けたりして出た(出した)答え、が「本来の答え」とズレている、ということがある。
 
たとえば、出た(出した)答えが、Aという件に関することだとする。
でも、ちょっと経って、その答えを「Aについてだ」と思って見直してみると、なんだかしっくりこない。
で、よくよく考えて、その答えを「Bについて」だと思って見直してみると、しっくりきて、あ、A、というのは見せかけで、わしがほんとに出した答えはBについてだったのか、と判る。
 
 
ま、でも、こういうのも、いちがいにだめなこととは、いや、全然思わないです。
全然問題なし。
ってのは、↑の例ならば、カウンセリングのときはわしは「Aの件だ」と思っている必要があったんですね。
カウンセリングの時点で「Bの件だ」としてその答えをみたとしても、「そんなわけないやん」と一蹴していたはずです。
 
こういうのに限らず、何と言うのでしょう、自分を何とかしたい、と思ったとき、自分はこうだからだめだとか、自分のいけないところは何だろうとか、そればっかりを探しすぎると、逆に
「自分のだめなところを探してそれを闇雲に解決する」
ということに依存して、それを繰り返し、それをやっていないと安心できない、ということになったりする。
(わしは実際そういうケがあったと思う。)
 
ほんとにどうにかしなければいけない自分の問題、というのは、ほんとに苦しくてしかたなくて、どうにもこれが自分のなかにあると生活に支障をきたす、というくらいのものだと思います。
つか、そこまでそのことで苦しくなる、ということ自体が、
「この件はもうそろそろ解決しようよ」
という自分の本心からのサインだということですね。
 
(続)