すべての答えは自分のなかにある

わしは論理だててものを書くのは得意だが体系だてて書くのは全然できないので相変らず断片みたいな話になるでせうがご容赦を。
 
わしが完全にニューバージョンなわしになったのは今年の2月くらいだったと思う。
その後震災があって誰もが精神的に大変だったなかわしも末席で大変さを感じていたわけだが、でもニューバージョンのわしでなかったらあのていどでは済まんかったじゃろうと思うと確かにわしのバージョンはあがっておるのである。
 
 
ニューバージョンの特徴はともかく立ち直りが早い。
ゆうべは鬱々うだうだな文章を書いたが、今朝にはふつーに戻っておった。
 
という状況でもたまに1週間ほどひとつのことが気になって気が晴れないとかあるけれども、そういうときはたいがいその不安のなかに今自分に必要な課題が隠れておるので、いろんな方向から考えてみます。
 
で、この「いろんな方向から考える」方法として、わしは自分のなかに他者を作ってその人らと対話するという方法を取っていますが、何ヶ月か前にここにあげていた「自分用日記からの抜粋」ってのは、その「他者」が現れる過程を紹介したくてあげていたのでした。
 
が、文章量が膨大であるのと、その他の理由で、どこを抜粋したらいいか判らなくなっているため、ここにあげるのがストップしておる。
 
ま、ともかく、自分のなかの他者との、かなり具体的な対話というのはかなり有効ということを言いたかったのでした。
 
最初に「他者」が現れたのは偶然で、で、そっから「他者」の人数も、今はメインは3人いて、そのときどきで違う人を呼び出して質問をしたり相談したり語り合ったりするようになりました。
(書き起こさなくても妄想で対話はできるがやはり対話を書き起こしたほうがいいようである。)
 
 
脳内他者、が現れたのは偶然だったけれども、どーも振り返るとわしは脳内他者との対話という「方法」により「自分のなかの答え」を引き出すという道を選ぶことにしたようである。
 
と思ったのは、わしは大変影響を受けたカウンセラさんがいるのだが、今振り返ると、その人の持論でわしにとって一番重要だったのは、
「すべての答えはその人のなかにある」
ということでした。
 
それまで、悩むとすぐ人に相談したりしておったが、この考えを知ってから、ひとに訊くより自分のなかを掘り下げるほうが効率がいいな、と気付き、今となってはまったく相談というものはしなくなった。
 
で、自分のなかから答えを引き出す、のに、わしにとって一番有効だったのが「脳内他者との対話」であったわけです。
 
 
あと、そのカウンセラさんが言っていて、なるほど、と思ったのは、
「迷うことがあったら『私は幸せを選ぶ』と心のなかで10回考えてください」
というようなことであった。
幸せ、というものは誰もが選んでいるはずだろう、と思うかも知れないが、本心では、たとえばわしは長らく
「本心では不幸でいたがっている」
と思っていて、そのへんの葛藤が、一時期このブログでもずっと描かれたりしていたが、人間は本心では意外なものを望んでいたりする。
で、その、本心で望んでいるものが手に入るようになっています。
 
幸せ、とか、選ぶ、ということについてこそ、いろいろ昨今自分のなかで気付いたことや言いたいことがあるのだけど、これこそ書くの骨折れそうだからな〜。 
 
 
まあともかく今日は、
「すべての答えは自分のなかにある」
というお話でした。