いらいらいらいら→言語とのおつきあいの話

最近ずっといらいらいらいらしている。
ホルモンバランスはいい時期なので関係ない。
 
何かにずうっと怒っている。
だから何かのきっかけで普段から感じている怒りが噴出する。
 
暑くなってから、この傾向が強いような気がする。
私は湿気がゴキブリの次に世界で一番嫌いだから、もう何か、この恒常的な蒸し暑さに、何らかのスイッチが入っている。
いらだちのアプリケーション常駐って感じですかね?
 
それに触発されてか、日本全体がまたいやになってきてしまった。
苦しい。
疲れる。
幸せになるのが多くの人にとってひどく難しい。
と感じる。
特に労働環境面において。
労働環境や条件が改善されれば、日本に巣食う問題のほとんどは解決すると思う。
でも解決の見込みなんかない。
海外駐在から帰ってきた人に、昔アメリカに住んでいた人が、
「日本は疲れるでしょ?」
と言っていた、これにすべてが凝縮されている。
昔の上司は海外駐在から帰国したらうつ病になった。
そういう国なんですよ、日本は。
 
 
個人的なところでは、翻訳という作業にいらだっている。
翻訳も英語も嫌い!
英語は難しすぎる!
語彙が2重、3重に存在するため表現の幅が広すぎて、日英翻訳をしていることがばからしくなってくる。
(こんな私に英語への翻訳させていいのか、と。)
もちろん常に調べまくって全力でやってはいるが、限界がある。
てか、前も言ったが、外国語の「習得」なんざ、どだいむりなんだよ!
つか、今の気持ちを一番しっくり言い表すのは、実はこういう表現がいいと思う。
私はいつまでも英語ちゃんに振り向いてもらえないので、悲しくて怒っているのだ。
とね。
 
これまで英語ちゃんのためにどれだけの時間をかけてきたと思ってるんだ。
なのにこのていどしか操れないのだ。
(テストの点数と発音だけはいいので周囲は勘違いするが。)
つまり英語ちゃんとはどうしても両思いになれないのだ。
 
最近私はイタリア語ちゃんにベタ惚れだが、今日「世界の言語ガイドブック」という本を借りてきたので、数十人(言語)とのお見合いもするつもり。
 
英語ちゃんは、小学校高学年から許婚としておつきあいしてきたが、どれだけ努力してもほんとの意味では振り向いてもらえないので、疲れてきたんだろう。
つか、イタリア語ちゃんとか、他の言語とつきあってみて、自分がいかに英語ちゃんのことを判ってあげられていなかったのかを知ってショックだった、とも言える。
 
これからの人生、どうなっていくか見当つかないけど、きっと死ぬときは、
「心から愛したのはイタリア語ちゃんだけだった」
とか言いながら逝きそうなオカーン。
 
 
まあでも、あれです。
これらは、言語と、ガチに向き合いすぎた人の言っている(ちょっと頭のおかしい)ことで、外国語を手段として活用したい向きの人は、こんなこと考えずに、どんどん手段として、外国語を磨いてほしいと思う。
道具としての英語の威力は最上級です。
イタリア語なんて冗談みたいなもんです。
(歌歌ってるぶんにはいいだろうが。それだって英語も歌には向いている言語だしぬ!)
 
 
最初の話に戻ると、自分の常駐怒りソフトの正体は、まだ判らない。
日本に対する何かで、そしてその根底は、何らかの強い願望なんだと思うが。
(願望の裏返しでいらいらしている。)
 
まじ時間なくなってきたので仕事する。