ある外国映画

を、観るつもりもなく観てきたのだが、この映画がどうのと言うより、以下、全然個人的な話。
 
私はライヴは翌日が休みのときしか行かないと基本的に決めている。
どうしても観たいものの翌日が仕事のときは、休みを取るくらいに、イベントの翌日を休みにしたいと考えている。
(主な理由は、朝が早いほうなので、イベントがあって遅く帰宅して、風呂に入って寝るのが遅くなると翌日しんどいのがいやだ、というのがある。
(めまいもちなので疲れるとめまいが出る。ので疲れないようになるべく気を配っている。))
 
けれど、そうなるとど平日なんかは確実に楽しみがなくなってしまう。
ということで、
「映画を観ることでイベントのわくわく感を演出する行事を、これから月曜日にとりおこなうことにいたそう。ライヴだとタバコの臭いの問題などで髪を洗わないで寝られないが、映画なら遅くなってもサイアク髪を洗わなくてもおk。今日は金曜だがとりあえずどうしても何か観たいので行こう」
と行ったのだが。
 
映画を観るまでは、今後の月曜のイベント感演出行事にわくわくしていたのだが、観終わってから、私の仕様上、月曜に物語を観るのはムリだな、と思った。
観たものがきっかけで渦巻く感情の処理をしていたら、翌日仕事に行けない。
前にツイッタで
「自分は感情にのまれがちだが、行動が感情を作るという面もあるので、感情の面で難を抱えていても、なるべく行動していこう」
みたいなことをつぶやいたのだがしかし、うーん。
 
自分の仕様がことごとくめんどくさい。
(愚痴や苦しみでなく、プレーンな感想として。)
もうちょっとフラットな仕様だったらよかったなあ、やっぱ。
人に返事をすると約束しておいて、感情処理をしないとそれなりに思考を要する対人の行動がまったくできないので、こうやってまずブログで長文書いてやがるし。
そういう仕様もすごくいやだ。
(これもあくまでも苦しみとかでなく、自分という人間に対しての、プレーンな感想として。)
 
今日観た映画の主人公も(やっと今日観た映画の話w)、そういう、感情に従うしかできない系統の人だったな。
(ネタバレな話があるのでタイトルはあえて書かないで話す。)
 
最後、自殺しちゃうんだけど、一緒に死んでくれる人がいたので、ああ、日本ではああいうのは心中と言うのだっけ。
 
一緒に死んでくれる人がいるというのは、まあ、言い切っていいか判らないけど、幸せだなあ。
まあほんとに愛し合っていたら、殴り合ってでも、互いに「イキろ」と諭すのがあるべき姿だとは思いながら。
ああいうのを観ると、人の一生なんて何の意味もないとも思うし、逆に、本人が気づかないところで影響を与えていることもあって、それが鼠算式に増えていくことだって、本人が気づかなくてもあるんだから、どの人の人生も、すべて知恵の輪のように連なっているような気もするし。
 
 
まあそんなわけで、月曜映画イベントは難しそう。
今週は、例えば会社でも会議をイベント視してみたり、ちょっとこれまでにない試みをしてみたりもしたんだけど、ま、またいい案を考えよう。
(つか単純に自分がイベントごとに飢えてるだけのような気もするw まま、明日はライヴなんで好都合なんですが。呑むぞ!)