BULLDOZER とイタリア語検定(と「イタリア(笑)」)

さ、壮絶な長さの放置ののち、へんなテンションで長大な日記を書こう。
 
秋にイタリア語検定があるんですけど、去年2級落ちて、今年は、検定に対する考えも変って、やめようと思ってたんですよ。
 
私はもう外国語を「習得」したいなどという、元来不可能なことに興味がなくなり、ただただ多言語が「概観」したいのであり、そのうちのいくつか、辞書を頼りにすればまあまあ読める、くらいになればいいなあと。
 
イタリア語も当初そんなくらいの目標で始めて、で、最近望んでいたところに到達したかな、って感じだったので、4能力(読む、書く、聞く、話す)をまんべんなく問われる検定試験は、もういいな、と。
 
しかも、愚痴らせてもらうとw、イタリア語検定は高いしいろいろ無茶なんだよ!
2級で1万ですよ。
で、また難易度が、留学してた人でもなかなか受らないという無茶な設定。
で、しかも、しかも、イタリア語検定(2級以上)の意地悪なところは、全体の得点率が8割、そして、それだけでなく、1次試験だと、リスニング、筆記(文法+読解)、作文のすべてで7割以上の点数がないと、受らないんですよ。
無茶でしょw
 
そんなのにつきあってられっか!
って感じにもなって(まあ一番の理由は絶対受らないものに1万払うのが切なかったという理由なのだが)、7月終りに検定申込受付開始になっても、申し込む気なかったんです。
 
 
が、先日、明け方、検定申込用紙がわざわざ自宅に送られてくるという夢を見た。
で、夢うつつで、
「あ、よかった、うちに検定申込用紙送られてきてるじゃん! 申し込んでこよう!」
とか考えていてw
 
が、そんなことは起きたときは忘れていた。
会社行っても忘れていて、で、会社の休憩時間に、フランス語検定2級に受った、という人のブログを読んでいて、もわもわもわと、朝の夢うつつがやっと蘇ってきた。
で、
「あ、検定、ほんとはわし、受けたいんだな」
と。
 
でも、絶対受らないものに、1万ですよ?
(ひつこい。)
 
 
でもさあ、結局申し込んじゃったんだけどさw
 
 
私はなぜイタリア語をがんばりたいのだろうか?
これ、自分でもよく判らない。
最初はただ響きに惹かれてかじり始めて、で、学習の過程で好きなイタリア人歌手を見つけて、で、その人のイタリア語の歌の響きにも惚れ込んで、って感じだったんですけど。
 
今までいくつか英語以外をかじった(ほんとかじっただけ)が、イタリア語が一番英語と似ていて入っていきやすかったというのもある。
で、縁あって教室に通うことになったりとか、そう、「縁」があるんだろな、という漠然とした自覚はある。
 
けど、検定で問われる文法の正確さなんてもう正直どうでもいいし、別に伊語作文ができるようになりたいわけでもないし、この性格じゃイタリア人の友達なんかもできっこないし(見よ! 英語の翻訳・通訳をやってるのに今まで続いた外国人の友達がひとりもいないんだぜwwwwwwwwww)、でも、なぜ、夢に出るほど、つまり根底で、
「もうちょっとイタリア語しっかりがんばりたいなあ」
なんて思っているのだろう。
 
 
とか腑に落ちないうちに、イタリアのカルトスラッシュメタルバンド、BULLDOZERの来日ですよ。
 
いやあ、彼らはねえ、イタリア色を、かなり出してくれたね。
MCで、
「ヨーロッパの北のほうから、イタリア人は嫌われている。なぜかは知らん。我らがバイキングではないからかも知れぬ。ああそうさ、我らはどうせイタリア人なのだ!」
とか。
「私はドイツに腹を立てておる。ドイツ、あと、イギリスとか……いや、どの国でもいい、ともかく、なぜか連中は、イタリアはだめだとかイタリア人はうんこ民族だとか言ってくる」
とか。
 
私はかつて、イタリアに対して、なぜかある意味正しく「ヨーロッパのなかじゃまだ発展途上だろ?」とか認識してたが、しかし同時に
「イタリアァ(n'∀')η゚・*:.。.:*」
というイメージもあった。
 
しかし、言葉の響きだけに惹かれてイタリア語をやって、イタリアをちょっと知ってから、すっかり
「イタリア(笑)」
に変っており、本日のBULLDOZERのAC Wild氏のMCも、
「やっぱゲルマン民族からバカにされてるのかおまいらwww」
とウケまくっていたのである。
(ただ、もちろんAC Wild氏は「そういうキャラ」を演じているだけだというは判っている。のだが、ゲルマン民族がイタリア人をバカにしがちなのは嘘ではなひ。)
 
あ、話が完全にズレてしまった。
この話はむあったっくイタリア語と関係ないww
 
イタリア語ってのは、徹底的に母音調和するんですよ。
それがあの響きの美しさを生むんですよ。
ってことを、BULLDOZERのライヴを観ながら考えていた、ってのが、話の本筋ねw
(ステージではほとんどイタリア語出なかったけど、彼らともし話したら、あの、私がメロメロ(死語)になるあの響きで話すのだな、と思うと、イタリア語について考えずにいられなかったのだ。)
 
母音調和ってのは、活用によって単語の語尾の母音が同じになることで、たとえば極端な例を挙げれば、
la mia amata lingua italiana(ら・みあ・あまーた・りんぐあ・いたりあーな=私の愛しのイタリア語)
のように、単語の語尾がすべてAになる。
というような活用や現象のことなんだが。
 
イタリア語は歌うための言語と言われている。
日本語と同じく単語の最後に必ず何らかの母音が入り、メロディアスな音楽にはこの母音が、しかも、母音調和のおかげで極端に韻を踏みやすい母音の響きが、確かに最適なのだ。
 
イタリア人は確かにゲルマン人にバカにされている。(とまた関係ないことを書くわし。)
しかし、言語の響きの絶対的美しさときたら。
このあたりについては、私はすでに身も心もあの響きにほだされているので論理的な説明はずえんずえんできない。
しかし、論理的じゃないところに、そして、説明できないところに、心が動くほんとの理由があるのであって、だから、私はイタリア語が好きなのだ。
 
ってむちゃくちゃやなw
つまりですね、私は音楽が好きで、言語も音楽のようにとらえているので、響きがどうか、というところが、たぶん最重要事項なのだ。
 
で、BULLDOZERからの帰り道、大好きなイタリア人歌手の歌を聴きながら帰った。
で、そうするうち、なぜ自分が、検定を受けてまで、
「もうちょっとイタリア語、しっかりやろうかなあ」
と心の根底で思っているかが、言葉になって浮び上がってきた。
 
私はイタリア語を「発音したい」のだ。
「話す」のでなく。
さっきも書いたように、現時点のこの性格では外国人の友達は作れない。
からして「話す」機会はまずない。
今日だってほんとは、日本人相手も含め、人間関係をもうちょっとうまくやっていれば、なんちゃって通訳(英語)で裏方になれた可能性があった。
(これは内緒ですよ。って全体公開日記で言う。)
 
そんなこんなで、話す機会はないけれど、私は、できることならすらすらと、あの言語を「発音」したい。
発話がそのまま歌になるようなあの美しさを。
 
ま、好きな歌手の歌でも歌ってれば、「発音」はできるけれど、たぶん、根底では、自分で文章をちょっとでも編み出して、自分で、あの母音調和を作って発音してみたいのだ。
そのために、もっと正確な文法理解と、語彙力の増強と、作文力の訓練が必要なのだ。
 
という判断により、私はイタリア語検定2級を受けるらしい。