私は書くのが何より好きだ、引越しに伴う部屋の整理をしていて、9年前に書いてたものをチラ読みした、心を投入しすぎて、自分がいくつかに分かれるきっかけになった話だ。

しかしこれがあなた、完成してないんですよ。
知らないうちに、「物語」、じゃなくて幾人かの「人生」を書いてたんだね、だから話が入り組みすぎて、瓦解した。

しかし、人に見せるという制約のないところで踊る文章の、いかに鮮やかなことか。

どうしたらこの人に、つまり私自身に、彼女の魂しぼった話を完成させてあげられるのか。

泣きながら考えている。
語学のためには死ねないが、書くことのためには死ねる。

「形」にしてやりたいんだよ。
日常のめんどくささと圧倒的な心の弱さと戦って、でも結局何も形にしてこられなかった人の、「はなむけ」は今まで彼女が書き散らしたものを形にしてやることだ。
それはたぶん書くという作業とは違う。
ある種の理路整然とした、心の振り幅のでかさに影響されない、ああ、しかし結局は日常に吸収されない綱渡りの強さが必要なのだ、今までそれに敗北し続けたのに。

心に振り回されてしんどい。
この心は要求もでかいから、応えるのさえもしんどいのに要求を叶える過程で揺れ動きすぎて邪魔ばかりしてくる。

ともかく、9年前の自分の文章を読んで、書かないと狂う人の、書くと狂う人の、守りをするのも自分自身なのだとよく判った。

形にする、という要求をまず認識しよう。
そのために、結局、戦え、戦え、自分。