空が白む

基本的にはここには心情吐露に来ているようなところもありますので。
特に最近は。
 
来たってことは、何かあったんですw
 
いや、ま、しかしですね、今だから言いますけどね、苦難があってこそなんぼですよ、人間。
苦難は必要なんです。
苦難を糧にしてでかくなるんです。
苦難は心の栄養です。
 
特に、思いも寄らないよくない出来事が起ると、何でこんなことにって思うでしょ。
でも、それはあなたに与えられた、課題、もしくはこれから解く宿題なんです。
こういう話の流れだと、よく聞く、
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
という言葉を思い浮かべる人もいるかも知れないけど、きっと、そうなんでしょう、判りませんが。
 
しかし、あまりに苦難が長いと、ほんっとにいやになって、苦難を課題に成長するとか、まじいらんし、とか思って、もう成長したくないから今すぐこの苦しみを取り上げてくれとか、そういうふうにも思いますね。
私も、この、どれくらいやろうなあ、浮き沈み入れたら3年くらいはそう思ってたんじゃないだろうか。
「浮く」こともほとんどない、という状態なってからは、8ヶ月くらい経った。
 
ここでもそのころは暗黒なことばっか書いてたから、そうとう心的ににっちもさっちもいかん感じだったのは伝わってたかと思いますが、そんななかで5月の終りに、結局、病気だったねこが亡くなって、そうしたらその直後に今度は母親の病状悪化ですよ。
 
「生きるな」
いうことかなとか、
「おまえは生きている限り幸せなことなんかないからはよくたばれ」
って意味かなとか、いろいろ思ったけど、でも、こんな状況だけど、ひょっとすると、「一番暗い」と形容される「夜明け前」は過ぎたんじゃないだろうかという気がする。
とあえて書く。
 
自分がこの状況に対処できるくらいに変ったのかはよう判らんけど、この8ヶ月、暗いなかでどんどん状況は悪化するし、抜け出そうとしても引き止めるものが多いし(実は一人暮らしするとか言って部屋だけ整えてはいるけどまだ引っ越せてない、ねこと母親のことで)、いったい何なのかよく判らんのですが、でも、暗いなか、あるとき何かに大きくつまづいて転んで、で、顔上げてみたら風景が変ってたんですね、「もう絶対に終らない」と思っていた夜が、実は終ってたのでは? と。
 
何につまづいたかと言うと、「その年で今さら青春ドラマか」笑われるかも知れんけど、「タンブリング」ってドラマであって、それに出ている俳優さんたちであって、彼らにつまづいて、転んで、顔上げてみたら、世界が変っていたことに気づいた。
私がずうううっと自分のなかに押し込めていたものを、一気に解放してくれて、自分が何でこんなにいやな思いしていつも生きてきたのか、いや、むしろ、私は辛い状況というのは自分で作り出してるところが多々あって、ずっと、何でやろ、何で自分で自分を苦しめるんやろ、と思ってたんだけど、あるとき、そう、ちょうど今月の初めだったか、判ったんですよ、私は「書きたいから」辛い状況を作ってたと。
 
ここではあまり書いたことないけど、どうしようもない状況のとき、たまに、
「書く」
と思うことだけが自分の足を進めさせる理由になったりしていた。
もうだめだ、と思ったあとに、
「でも書くから生きる」
と、日常のいやなことも、めんどくさいことも、全部、書くことに帰結するならば、越えていけると、生きていけると、思っていたことが、何度かあった。
 
で、今回の長い夜、8ヶ月の長い夜のなかで、「タンブリング」に出会って、自分が何を書きたいのかのヒントの端が見えて、特に、ドラマのなかの木山ってキャラクターに心つかまれて、自分が、人に言えない自分の悲願を叶えようとしたら、
「書くしかない」
ということにも気づいて、そしたら、この長い夜のなかで、ようやく、
「それでも生きてやろう」
と思えた、それは、
「書くためだったら生きられる」
という意味だった。
 
別の言い方をすると、やっと、自分に書く許可を出せたんですね。
結果がどうだろうが、けなされようが、書きたいから書く。
 
そして、人生のこれまでの「辛いこと」は、「書きたいから」、自分で起してたんだと、そうだな、これが判ったときが、一番衝撃の解放の瞬間だったな。
 
私はずっと、自分で自分を辛くしていることはよく判っていて、で、なぜそうなのか、ずっとずっと知りたくて、ずっとずっと考えてたけど、判らなかった。
からくりとして、例えば、「不幸でいたいから」不幸を作り出すのだ、というところまではいつも到達したのだが、
「なぜ不幸になりたいのか」
が、ずっと判らなかった。
 
が、それは、「書くために」、よりよいものを、より人に届くものを「書くために」、不幸を経験したかったんだと。
これが判って、自分の「不幸」の理由がすべてとけて、そして、私は不幸ではなくなった。
 
また、もうひとつは、追い詰められなければ、自分をほんとに救うものは何なのか、どういう状況であっても「これだけがあれば」と思えるものが何なのか、判らなかった、というのもある。
振り返ると、「書く」と思うことだけで生きてきた、と言える部分があるのは、これなんだろうなと。
 
 
ここまで書いて、前も書いたけど、ひとつも(小説とか作品になるものを)書かんかも知れんよw
でも、それでも別にいいんだよ。
何かもう、いいんだよ。
私は、自分をわざと不幸にして成長させようと思うほど書くことが好きで、書くために生れてきたとはっきり言える。
もうそれが判ったから、いいんだよ。
 
 
こういったことは、まあいつかは外部に書きたいと思ってたけど、なかなかタイミングがなかった。
(今実家にスムーズなネット環境がないので。それで全然コメ返しできなかったってのもある、すんません。)
 
このほどなぜ書こうと思ったのかと言うと、「タンブリング」で私にとって一番重要な木山役を演っていた大東俊介が、ドラマの最終回の撮影直前で、事故で入院したから。
今のところ公式で出てる情報では、大腿骨複雑骨折、入院2週間、全治半年。
7月から新しいドラマが決まっていたが、降板の見込み。
今日あったと言う、「タンブリング」の最後の撮影も、結局参加することができなかった模様。
 
ドラマのストーリーとしては、例えば彼が演っている木山が病院送りになって姿見せられなくなった、という流れにするのが可能な感じなので、ま、今週土曜、どういうふうになるか判らないけど。
 
私は木山というキャラクターが好きなのだが、あのキャラクターをああいうふうに完成させられたのは、大東俊介だったからだと思う。
前も書いたが、素のときと木山のときと、顔が違うw
声も違うw
何なのかよう判らんけど、とてもいい役者だと思う。
 
あるインタビューで、
「1日24時間をフルに使って、よりよい俳優になるために必要なことを身につけたい」
と言っていた。
そうだ、出演してたドラマに、最終回だけだが、しかし、最終回という重要なときに、穴をあける、次のドラマは降りざるを得ない、それ以前に、手術も受けたから、身体的苦痛も大きいだろう、それ以上に心的に辛いだろう、しかし、そういう状況でも、いや、どういう状況だろうが、1日24時間をフルに、もっとすごい俳優になるために使え。
確かに周囲に多大な迷惑をかけることになるのだろうが、それでも、こういう出来事が必要なくらい、でかい役者になることに、あなたはなってるんだよ。
 
だから、最初に書いたことに戻る。
人間、苦難があってなんぼ。
器がでかいって見込まれた証拠。
だろ?