通じない論法

コメントありがとうっ(・∀・)
 
さっきネット活動してて思うところがあったのでちらっと。
 
私は案外通じない論法で話をしているのかも知れん。
特に女子に通じないことが多いような気がする。
 
相手に連帯意識を持って、仲間だからこそ言うせりふ、みたいなのが、女性に通じない感触がある。
(と言ってもここをお読みの女性には通じていると思う、と言うのは通じない人からは私がムカつくことを言っているようにしか思えないらしく、そういう人たちはもれなく私のもとを去っていくので、去っていないということは、私の意図するところが通じている、ということ。)
 
続に言う、叱咤激励と言うのでしょうか。
相手の幸せを思っているからこそ相手の行動に疑問を投げかけるため「ほんとにそれでいいのか?」と言う。
というの、私は大好きで、アツくなる場面なんですけど、女性女性している女性はそうではないのか?
少年漫画だとそういう叱咤激励シーンが思い浮かぶが、確かに少女漫画って……ってほどマンガを読んでない件。
 
ってか、私の認識がやっぱ間違ってんのかなー。
私は外部に心開きませんが、しかし瞬時に相手を内側にとりこむ、ということはします。
なので勝手に相手と同化しちゃうことが多々ある。
だからこそ、「ほんとに君はそれでいいのか?」みたいな言いかたになるのだが。
あ、また別の例を思い出したわ、私のこういう論法が通じなかった女性の例。
 
うーん、通じないんだな。
よく判った。
やっぱ「ネー」ってぬるい同感じゃないと是認しないのだよ、世の多くの女性は。
めんどくせー。 
 
ってか、男女関係なく、自分の意図していることはほとんど通じてないと思ったほうがいいんだろうか。
私に限らず、誰でも。
そしてこっちも相手のことを理解してないのだろう。
 
だからさ、「同じ言語を話すので話ができる」というのがますます幻想だと思うし、不思議に思うんだよ。
いまだに毎日周囲を見て
「ここにいるすべての人が日本語をほとんど理解している」
事実に驚嘆している。
だってほんとは通じてないかも知れないのに。
ってかほんとは通じてないのに「みかけ」だけは同じ言語でのコミュニケーションが延々と続き、通じ合った気になり、安心している、、、へんな話じゃあありませんか!
 
 
だからさあ、母語とガチに向き合うのがめんどうになって、「対象として」言語が楽しめる状態、つまり外国語学習のほうがいいなあと思っちゃうんだよね。
外国語は「とりあえず通じる嬉しさ」が味わえるけど、母語は、「通じなかった悲しみ」の回数が多いから。
ってのも、「通じるはず」と思い込んでるからなんだよ。
 
うーん、母語を同じくするからと言っていかに通じていないか、ということを自分はもっと認識すべきだと思ったし、これからちょっと女性たちがどういうコミュニケーション形態をとっているか、観察してみよう。
 
まあでも私は「通じない」と思ったらばっさり相手とのつながりをきっちゃうけどね。
「判ってくれなかった」というのは私にとっては恨みなので。(少なくとも今までは。)
「だったらもっと判りやすい話しかたをしろww」って感じだが、開きかけた心の閉ざし速度はパねえからwwwwww
と草を生やしてひとまず退散。