引っ越そうかなあ

ラウパー、SLAYERのライヴをどうするか等、まだ決められない。
MEGADETHの新作が噂通り良かったので、MEGADETHのサポートはしたいなあと思ったし、まあそれならばラウパーの初日、新木場のSLAYER、名古屋のMEGADETHと、金はかかるが、いいか、とも思ったり。
 
したけど、もう親と暮すのが限界かも。
これまで何億回と独り暮らししようという考えがよぎったのであるが、母の病気のこともあるし、まあ別に重症ではないので近所に住んでればいいのだろうけれども何かあったときに母がひとりだったらどうしようとか、おい、こんなに優しい子供をつかまえて積年の「あんたは冷たい」「無神経だ」攻撃は何だ?
 
うちはマンソンで、間取りが最悪。
冷蔵庫に飲み物を取りにいくにも。
トイレにいくにも。
歯を磨きにいくにも。
父親と顔を合わせなければならない。
親友であり同じく孤独志向の石塚(仮名)からは、
「あんたの家の間取りは最悪だね、よく暮してるわ」
と言われた。
 
と言うか、言われて、初めて、ほんと、うちは、公民館の集会所みたいな間取りであり、ひとが外部をきちんと遮断して心の健康を保つ機能はまったく果さない家だと気づいた。
 
今もトイレに行って部屋に戻り寝たいのだけれども父親とどうしても顔を合わせたくないため、ほんと、こんなことで悩んで時間をむだにするなら、一人暮しをしようと。
 
 
私がかなり心のバランスを崩したのは、ここに暮していていて、唯一、まあ90%のレベルで孤独が確保できていた、朝の時間を父親に侵害されるようになってからだ。
ガーデニング趣味を本格化させた父は、早起きをして、その時間を確保する。
しかし、そうすると、私が起きて会社に行く時間とダブるのだよ。
昔は私が行ってから父が起きるくらいのタイミングだったから、朝だけは私は完璧ではないまでもまあまあの孤独を確保できてたのに、それさえもなくなった。
 
父がなぜそんなに嫌いかと言うと、んもういろいろな理由があるけど(そして世間的には彼はとてもいい父親のため私の苦しみは誰にも正当とはみなされないのだ、どうだ、俺の人生って最高だろう)、接するのがいやなのは、彼の前では彼の望む「娘」を演じないとならないので。
愛想は常によくなくてはいけないし。
ってかよ、一番ムカつくのはよ、彼は自分で自分の心を充足させることができないので、外部に充足させようとするんだよ、そういう魂胆がみえみえのかかわりかたをしてくるんだよ、彼がバカにしてやまない女という生き物から、その充足を奪い取ろうとするんだよ、ほんと吐き気がするんだよ、その、「搾取」されてる感じが、見下され、しかし、搾取はされるという感じが、私は耐えられない、と言うか、物心ついてこのかた彼が大嫌いであり続けるのは、そのからくりを、ほんとは察知していたからだと思う。
 
いや、そんなこたどうでもいいんだよ、私は今ともかくトイレに行きたい、そして安眠して、いや、それも確保できない、父親が、これまた趣味のミニシアターを、こんな狭いマンソンでフルに活用していて、しかも、悲しいかな彼は人の心があまり判らないため、音のでかいアクションものしか観ず、その、爆撃などの音が響くのを、マンソンで下の階もあるのに、爆音が響くのを快感を感じているらしく、そういった騒音のために今日の私は安眠できることなく、ほんとに、ひとり暮らししようかなあ。
 
だからあまり音楽の遠征にお金を使うのに思い切れないんだよね。
 
 
たまに、鈍感なうちの親にさえ一目瞭然に判るほど心壊れちゃったらよかったのになあ、と思うことがある。
よくみている掲示板で、
「うちの子は敏感なようなので接しかたに悩んでいる」
という話がでたとき、
「とりあえず子供の言うことを否定せず聞いてあげる、
 
ああ、もうそんなことどうでもいいや。
だって私のよさを生かす、とかいう教育はなされなかったんだから。
どれだけ、勉強ができるとか、見るからに賢そうとか、根気がいいとか、そういうことをほめたって、
「冷たい子だ」
と言われ続けた傷は「絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に」消えないし、ほんとに、「相手(親)は自分が認識しているからくりを理解しない」というのはもどかしくて気が狂いそうですよ、だってどう説明しようがおそらく最後は
「考えすぎるあんたのほうが悪い」
となるのだろうし、
「考えすぎなければそんなふうにはならない」
となるのだろうし、あのなあ、こっちだって好んで敏感に生れたわけじゃねえんだよ、できたら何も感じないタイプになりたかったよ、あるいは、何も気づかないタイプになりたかったよ、つか、あんたに敏感さとか繊細さとか真っ向から否定され続けたから、おかげで、やっとこの数週間だよ、自分が敏感だと認められるようになったのはよ、自分の本質を担う部分がどれだけ抑圧され続けてきたか、今まで、私は、「抑圧されてきた」と自分のなかの子供が暴れそうになるとその子供を黙らせていたんだ、かなりバイオレントな方法でな。
ってか、それはあんたが私にしてきた方法だよな。
しかし、最近になって、やっと、子供の言うことを聞いてやろう、と思うようになったんだ、子供が、もう、この家にいるのは耐えられない、と言うのであれば、それに耳を傾けようと思ったんだ、今まで「一度も」聞いたやったことがないから。
 
原爆ドームの見学をして吐き気に悩まされたり、人体の秘密展に行って下痢になったり、望まないのに私は何か知らんがいろいろ感じちゃうんだよ、そして、ずうううっと、そういうありかたは間違っているのだと、いけないことなのだと、あなたの教えに従って、自分の本質を完全無視してきたのだ。
もし自分の人生を総括しろと言われたら、私はそう総括するね、
「親に本質を否定されたので自分が何者か全く判らず苦しみ続けました」
それが私の人生だ。
 
 
私はずっと人に心が開けないことに悩んできたけれど、開けなくて当り前なんだよなあ、本質を否定され続けたから、人と関われるわけがないんだ。
 
しかし、もういいや。
ここで踏ん張って解決に踏み出すのは私しかいないのだし。
もう時間はムダにしたくないし、私にはやるべきことがあるのだし、だから何が一番正しい方法か判らないままに、模索しつつ動くのだ、そういうしぶとさだけは私からは奪えないぜ、両親よ。