「MW」

昨日、「明日映画観る」と書いたのは、「MW」を念頭に置いてのことだったんですけど、何か上映時刻が微妙で、なんちゃって読書@図書館に切り替え。
 
と思って名古屋二大図書館のひとつである鶴舞図書館に行くと、休みだったorz
ってか、私が思い立ってこの図書館に行くときの休館率は異常。
こないだなんか、BUCK-TICKのライヴが鶴舞だったんだが、待合せしてた友人が、
「JRの駅付近のコンビニにトイレはないか」
と言ってたので、
「図書館にあるお(`・ω・´)!」
とカッコつけて友人を連れて行ったら、休みだった。
 
 
さて、それはともかく、鶴舞ってところは、私は別に通り道ではないので、図書館のためにわざわざでんしゃで行くわけですよ。
そこで図書館に休まれると「何のために鶴舞行ったんだああああ!」となる。
 
が、って、何か前置きが長くなってきた。
ともかく、以前行った、鶴舞の漫喫には「MW」があることを確認していたので、「これは映画でなく原作をまず読めというお告げだな」と思い、漫喫で読んだ。
(若干ネタバレありなので注意。)
 
 
何はともあれ、主役がほんと玉木宏に似ているww
いや、逆だ、玉木宏が主役に似ている。
手塚氏が生きてたら玉木宏についてどう思ったのか、めちゃめちゃ興味がある。
 
感想は……けっこう、さらっと終った感じ?
以前、会社の人に「重いテーマの漫画だ」と聞いていたので、読んだら1晩は考えちゃうような感じかなと思ったら、個人的には、そうでもなかった。
 
いや、重いんだけれど、善悪の境界線について、あまりに巧妙に描かれているため、感情的に入り込む隙がないと言うのでしょうか。
まあ、十代とかに読んでいたら、全然違ったんだろうなあ。
(私は感情が動くかを重視するので、こういう感想になることをご了承ください。)
 
善悪に関しては、考えさせるようで、私は、私は、ですよ、あれは結局悪を描いたことになるんだろうなあと。
(作者のあとがきには悪を描きたかったというようなことが書いてあったので、まあその通りだがw)
 
感情を打ち抜かなかった、というのはそのへんなんじゃないかなあと。
例えば、善悪が判りやすい形で対立していたり、あるいは、主役の青年が、悪と見せかけて実は美しい復讐のために人生かけているとか、そういう設定なら、感情移入しやすいんだよ。
けどさ、結局さ、あれは復讐ではあるけど、でも実質は狂気なわけで。
 
発端の毒ガス事件隠蔽を、まあ国家の悪事ととらえるとすると、あの青年はそれに立ち向って復讐していたのではなくて、国家の悪事の末に狂気の人間ができた、ということで、つまり、悪と善が闘ってるんじゃなくて、あくまでも、悪がまいた種が開花して悪事をやっている、という物語なわけでさ。
(狂気に変身してしまったこと自体は悲劇だというのは大前提ではあるけれども。)
 
まあ、だからこそ、説得力があるのだろうなとも思う。
国家が国民を犠牲にする事件を起した、被害者たちは、ああかわいそう、そして、そののちに被害者のひとりが復讐にたちあがった、がんばれ被害者! という展開ではさ、アツくはなれるけどさ、ハリウッド映画的大味感が否めない。
 
絶対的にかわいそうなはずなのに自らが悪になって意味不明な復讐を目論む、読み手は青年に同情したいのだけれども同情できない、でもたまに同情したくなる、いやでもやっぱりできない、じゃあ神父のほうに感情移入してみようか、うむ、さすが神父、苦悩しているな、いや、でも結局悪事に手貸してるやんwww
いや、「人間の弱さ」とかいう方向に持ってってしまえば、すべて「この迷い、判る!」となるのだろうけれどもw
 
その、人間の弱さ、については、主役の青年はとてもよく表現されていると思う。
問題は神父だ、漫画では、このへん、ほんとにどっちつかずな人間の弱さ、というところでものすごくうまく描いていたけど、結局そのためには、どうしても、どうしても同性愛の要素が必要になる。
 
だから、その要素をけずったという噂の映画は、いったい神父の苦悩をどう描いているのだろう、と。
だって、善悪のあいだで揺れる、ということならば、ある意味すごく「きれいな」苦悩だけれど、実際、神父の迷いってのは、マッシヴに煩悩からきてるじゃないすか。
その、「ほんと人間ってどうしようもねえなあ」ってのが説得力なわけでさあ。
 
まあしかし、映画は機会があったらDVDとかになったら観てみよう。
玉木さんはちゃんと女装もしてるの? (・∀・)ワクテカ