怒りやこだわりの正体

ちょっと今、急に、書きたくなったので。あとでコメントを書きます、ありがとう。
 
こないだ、父親に関して、ああ、だめやわ、この人、と思ったことがあり。
母が、ある夫婦の話をしてですね。
そこの奥さんがある温泉に妹と行って、旦那さんが、その温泉に行きたいと言っているのだが、旦那さんはちょっと体が不自由になっているというのと、また奥さん自身も体が不自由になっているので、旦那と一緒に行くのはしんどいと思っている、と。
 
そんだけの話なんだが、父がそれを聞いて、
「それはその女房が悪い!」
と激しく主張して、びっくりした。
ああ、やっぱこんな人だったんだな、と思った。
女は男のために仕えたり犠牲になるのは当たり前、という価値観だ。
 
自分はこういうことに気づくまで、どんだけ彼を美化してたんだろうなあ。
 
こないだ、
「怒りを感じたりこだわったりするときは、その対象に対して『ここを直してほしい』という願望がある」
という視点を知ったのだが、私の男性への怒りというのは、こういうものなんだと思う。
男性、てか、ほんとは父親に向けてなのだろうが、残念ながら日本はうちの父のような男性が大勢だから、憤る年月を送り続けてきた。
(もちろん世代により違うけど、何か最近どうでもいいや。)
 
 
けどさ。
何か、もうどうでもよくね?
自分がそういう男と縁持たなきゃいいだけの話だろ。
つまり、自分の世界に、そういう男のコンセプトを全然入れなければいいってかさ。
「あら、そんな人もいるのね」
で終りならば、いいんだよ。
まあ日本で生きていると、そうやってさらっと流すのが難しいほど日常で「男性さま、我々女は人間ではありません、ははあ」とひれ伏す場面に遭遇し続けるので……。
そしてまた、私は生れてこのかた私が憤る男性像を家で見続けてきたので、ここまで男性への怒りを醸成し続けたわけだけど。
 
最近、もんのすごく自分のなかで色々書き換わっている実感があるからさ。
その流れに乗って、男性への価値観も変っていくといい、ってか、今のままだと色々めんどくせえんだよ、電車で隣におっさんが来るたびに寒気がしたり、加齢臭に気づくと息を止めたり、そのくらい男性(特に中年以降)が嫌いで、日常めんどうなんだよ、だからさ。