Questo e` quello che mi fanno le sue canzoni

タイトルは"This is what his songs do to me"=「これが彼の歌が私にしてくれること」、イタリア語は合ってるか知らないw
 
NHKの「テレビでイタリア語」、去年の10月のぶんからのを録るだけ録ってまっっったく観てなかったので、今日から観始めたw
ら、初回から、エンディング曲が、ここでこないだうちから書いてるティツィアーノ・フェッロだった。
先月イタリアのラジオで彼の歌を知ってアルバムを買ってから、彼の声を聞かない日はほとんどなく、NHKでは最初、名前のクレジットが出なかったけど、出なくても、知らない曲でも、声でフェッロだと判るw
 
で、NHKでは途中までだったので、さっそくYouTubeで続きを聴こうと探した。
"Ti Scattero` una Foto"(僕は君を写真に撮ろう)

昔ここに貼った"Il Regalo Piu` Grande"(一番大きな贈り物)でもそうなんだけど、歌のストーリーは登場人物たちが動かしてて、フェッロは、天使みたいなポジション? そこにいて歌ってるんだけど、登場人物たちには見えなくて、みたいな。
この↑曲もそうなんだが、2:25くらいからを観てて、タイトルに書いた、「これが彼の歌が私にしてくれること」、だと気づいた。
ビデオでは、(失恋して)沈んでいる女性が佇んでいて、フェッロが彼女を包むように抱きしめるのだが、彼女は気づかない、だから、西洋でいくとこういうのは天使みたいなポジションだな〜と思うのだが。
 
でも、これがまさに、この約1ヵ月半、彼の歌が、声が、私にしてくれていたことだったと思う。
と言うか、このビデオはまさにそういうコンセプトで作られたのだと思うけどねw、彼は、自分の歌のポジションを、こういうふうにとらえているのだろうと。
 
しかし、きっと、元来、歌は、音楽は、そういうものなのだ。
「そこに、あるいはここに、あるもの」で、聴く人が必要とするときに、心を預ける、心を抱きしめてもらうものなんだろう。
 
 
この1ヶ月半は、自分が本当に本当に一番やりたかったこと、英語以外の言語を本腰入れて学習するという状態に入ることができ、非常に幸せだったと同時に、心の面では爆発直前、大変しんどかった。
そういうときにいつも傍らで歌っててもらったのがティツィアーノ・フェッロで、言葉が判らないというのも手伝って、彼が男性だという事実も関係なく、純度100の癒しだった。
この声でなければいけなかった、とは言わないし、彼でなくてもきっと他に同じだけの癒しになってくれた音楽が……あったかも知れない、なかったかも知れない。
判らないけど、これまで自分が見てきた、存在してきた世界と少し違うところの、これは前も書いたかな、私が未来に配置したいもののひとつなんだ、この人の歌っていうのは。
この「未来」の話は少し個人的、ってか、きっと私が予定している未来を全部人に言ったらみなさん「そうくるのかwww」と驚くと思うので全部は書かない(絶対書かないw)けれど、まあ、ともかく、彼の歌は、未来に配置したい。
もちろん私が好きな他のたくさんの音楽も、未来には「ある」、けれど、それは「配置」でなく。
 
相変わらず話が脱線してますがw、まあともかく、音楽というものはすばらすいね、という話ですた。