呪詛の続き、そして嵐がやんだ

■この追記欄で騒いでいる記事消失の件は解決しました■
見つけてくださったかた、手を尽くしてくださったかたがた、ありがとうございました! m(_ _)m
記事upの日付等の関係上、この追記はそのまま残しておき、見つかった記事、「さあ膿出しするか」はこのエントリ「呪詛の続き、そして嵐がやんだ」のあとに足しました。
 
昨日書いた追記こっから↓
  
さっきupしたけど追記
 
orz
 
昨日書いたぶんを間違って消してもたorz
マシヘについて書いたのはFireFoxのほうでサルベージできたけど、そのあとの「さあ膿出しするか」だっけ、はサルベージできずorz
(ってかマシヘはmixiと同じじゃん、サルベージしても意味なかったw)
 
もし「膿出し」のほう、キャッシュとかである人がいたらご一報いただけると助かりますorz orz orz
下記、いちおう消したと気づくまえの文章のまま載せますorz

 
1日おきに別の話題! とかにしようかと思ったけど昨日のような方向性の話を続ける。
 
昨日書いたことを振り返り、ああ、私は壊れたまま生きてきたんだな、と思った。
まあ、そういう人は、男女かかわらず多いと思います。
ただ私は加害者が男性だったのでね。男性への呪詛を続けますよ。
 
壊れたよ、壊れた。
去年のさまざまな試みから修復はできてきてるとは思うが、でも破壊がなかったころには戻れないと思う。
まあ別にここ読んでる男性で、成人女性にしろ幼女にしろ強姦する人はいないと思うからあんま書いても意味ないかな、と思いつつ、あ、でもこれを書く当初の目的は、私の膿出し、毒出しだったんだった。
 
でもやっぱ、判ってもらうことは難しいと思うがひとかけらでも判ってほしいと思っちゃうんだよね、女性が男性から性犯罪を受けたとき、どれくらい壊れるかを。
壊れるってか、生きてるとは言えない状態だと思うよ。
私は子供のころだったから自覚してなかったけどね。
あ、そうだ、私がなぜこんなことをこんなとこで堂々と書いてるかと言うと、そう、私の場合は「幸い」、子供のころだったからだ。
絶対に、「被害に遭ったほうが悪い」という一部の男性お得意の論理飛躍で批判されることはないので。
いや、それでも批判するか? 男の子なら被害に遭ったらかわいそう、でも女の子の場合、やっぱ加害者の男ではなくて幼女に非がある?
 
まあ別にそれでもいいぜ。
ただ、そう言ってしまう、あるいは思ってしまうのはものすごく恥ずかしいことなんだがな。
きっとその恥ずかしさがそういう一部の男性には判らないのだろう、いや、判らないようにしてるのだろう、なぜなら、自分が責められることに耐えられないからだ。
 
男性の脊髄反射的論理飛躍は、「自分が責められている」と警戒心が働くとき、起る。
頭の片隅では自分が悪い、あるいは自分が間違っているのが判っているのだが、それを認めると「自分が壊れる」ので的外れなところ、ってか自分以外を必死に責める。
 
男性は他罰的とは言うが、他罰的もたいがいにせえよ、そういう男は。
まあもちろん私がこんなとこで文章だけでほえててもですよ、何の意味もないことは判ってんだ、女性がどれだけ、どれだけ、どれだけ本気で怒ったところで、男性には何の影響もない、せいぜい「めんどくさい」くらいだろ? 腕力による実力行使は女性にはできないからね。
そしてまた、それがおそらく女性の、男性には想像できない絶望、無力感の理由のひとつだ。
 
「完全に壊れる」、というのは、もちろん男性にも起りうることではあるのだが、しかし、女性が性犯罪を受けたときの壊れかたは、なかなか男性は味わうことはできないだろう。
私は、物理的な意味で、男性が強く女性が弱い、というのは真理だと思っていて、しかしそれは単に腕力の問題だけでなく、男性は女性を簡単に、「完全に壊す」ことができる。強姦すればいい。
女性の側に、同じレベルの手段があるだろうか?
私に思いつくのは、母親になって男の子を持ち、自尊心を持てない人間に育てることだ。
怖いだろ? 陰湿だろ? でも女にはそのくらいしか手段がねえんだよ。
どれだけ怒っても、怒っても、怒り狂っても、世界中を呪詛で埋める恨みを心に抱えても、世界中の男すべて史ねと思うほどの憤怒を抱えても、女性にはその怒りを表現する手段がない。
それもまた、男性には想像できない絶望と無力感なのだ。
 
そうだ、私はそれを抱えて生きてきたんだ、今さら修正がきくか、つかどうでもいいね、今さら。
 
さっき、色々考えていて、私は自分のなかの「女」を、今書いているようなことを書かせる、焼けるような苦しみと深遠すぎる呪詛の発生源である「女」である自分を、一度殺さなければならない、というようなことを考えていたのだが、よく考えればその必要はない、すでに殺されているから。
 
性犯罪とはそういうことだ。
ついでに言うと、女性としてだけでなく、人間としても、基本的には死ぬ。あるいは壊れる。
いや、やっぱここは「死ぬ」と言っておこう。
人間としても、属性である女性としても、殺されるというのが性犯罪の被害者になるということだ。
つまり2度死ぬわけだし、そっから生き返るのにどのくらいのエネルギーが必要か、性犯罪に遭ったことのない男なんぞに想像できるわけない。
(性犯罪に遭った男性なら判るといちおう書いておこう、私が立ち直る多大なる力になってくれたロブ・フリンのように。)
 
ああ、しかし、今書いていてやっと判ったけど、私のすべての苦しみとnegativityのありかは私の「女」の部分にあったのだな。
私はこれまでずっと自分が女であることがいやでしかたがない、女である限り幸せになることはない、と書いてきたのだが、ある意味逆なんだ、今まで私はそうやって自分の身体的・精神的な「女」の部分を忌み嫌い、排除しようと必死になってたのだが、逆だ。
「彼女」こそ純然たる被害者なのだ。
私は、私こそ、「被害者を責める」という、一部のばかな男どもが犯す過ちを犯してきたのだ、よく判った、ほんとによく判った。
 
首を絞めて、木刀で殴って、腹を蹴って、ビルから突き落として、川に突き落として、海に溺れさせて、それでもあきたらず、何年も何年も「彼女」をすさまじい勢いの火で燃やし続けた、それが、私がやってきたことだ。
 
「女である限り幸せになれない」というのは論理の飛躍だった。
いや、逆説だった。
いや、どっちでもいい。
 
 
昨日、今日と、まったく言葉を選ばず、いやむしろなるべく直接的な言葉を使い、書きました。
たぶん普通の感性の人なら「痛くて読めない」というレベルのものだったとは思う。
けれども、書いたほうはすっきりしたw サーセンwww
いや、真面目な話、↑の、どれだけ自分いじめをしてきたかの気づきは、私にほんとに必要なものでした。
去年、親友に、
「最近生きるのがちょっとラクになった」
と話してて、親友が、
「今まで自分をえぐり続けたからね。もうえぐらんでいいからね」
と言ってくれた意味が、そのときは頭ではよく判ったけれど、今、自分による自分のえぐり具合がどれほどすさまじかったのか、やっと判った。
いきいきと生きるのを自分に禁止してきたのは、やっぱり私自身だった。
 
某バンドの歌詞。
「静かな夜 心をえぐる 残酷な雨も終わった」
 
まだ嵐はあるだろうが、今はとりあえずこういう気分だ。