経験値か。

未来エントリしとく。
 
先日書いた、自分のなかの男性部屋が空いてるんですが、って話だけど、何で空いてるかってと、経験値の問題だと思った。
対外的には私は女性でしかないので、女性としての人生、生活の経験値はあるんだけど、私のなかの男性は頭のなかだけでしか生きられないので実際の経験値が低い、ってか、ない。
 
で、昨日ライヴ観てて、別に、普段から、普通の生活しているときから自分のなかの男性を呼び出せばいいじゃないかと考えてた。
自分の体が通常の生活をしているときに、自分のなかの男性に、その生活をさせてやる。
まあ人がいるところでやると、言葉が完全に「おれ」とかになって周囲を固まらせて迷惑なのでw、ライヴは人と話さないし、絶好の呼び出し場所じゃないか、と思ったけど、しらふでは難しそうだった。
ゆうべは大変珍しくアルコール摂取しながら観てたんだけど、酔ってるときに、↑の「呼び出す」ってアイディアに行き着いて、なるほど、と思ってたんだけど、実践は難しいな。
まあまだ感覚がつかめていないのだろう。
 
ただ、私は人生で永遠と、自分を見ている自分がいるんだけど(こういう人はけっこういると思う)、それを、男性視点に固定するだけでも違うんじゃないかと思った。
 
私はともかく、外部からの是認でなく、自分のなかでの自分の是認が習得科目のひとつだと思うんですよ。
最近までずっと外部からの是認に拘泥して辛かったんだけど、先日の「二重構造の空白を抱える恋」の話でも、私はすべてにおいて、自分の内部ですべて完結させるのが、ほんとの修行項目なのではないかと思った。
だから一度、自分のなかの誰か(今だと男性)を外部に設定して、生活してみる。
恐らくそれでかなり判ることがあるんではないかと思う。
 
ってか、結局、私にとって外部は永遠にconflictのタネでしかないんですよ。
だから、誰かと知り合ったとき、相手を内側に入れるとか入れないとかが重要になってくるわけで。
内側に入れたらもうその人は外部ではないのでconflictのタネではなくなるんだけど。
 
 
昨日のライヴレポはまた後日。