答えは内側にしかない

コメントありがとうございます、今ちょっと脊髄反射で書きたいことがあるので、コメ返しは明日させてください!
 
某バンドに関して。
某所にて、えらくたたかれてるね?
でも、眺めた印象として、何かひとり、悪い噂を流したがってるやつがいるような気がする。
かなり話題を誘導している。
 
まあそれは恐らく個人的恨みからきているのではないかと思うのだが、しかし、その誘導に流される人数人、流されない人数人、傍観してる人多数、まあ、健全っちゃ健全だ。
 
で、思うに、悪い噂流される状況を作ってしまうってのは、やっぱ当事者に理由があるわけでね。
噂が事実かを判断するのはファンひとりひとりだし、私は事実かどうかには興味ないんだが、個人的には、なぜこのバンドを知っている人たちのあいだにあまりいい空気が流れないのか、が気になっている。
 
ってか、すべてはそこなんだよ。
ほんと。
 
やってることがブレてるかどうか、ってのがバンドに対して私が一番重視することではあるんだが、音楽面に関しては、ブレていないと感じる。
とは言っても、音楽以外の面でどうするか、で私は一発で萎えたりもするから、音楽以外も重要だ。
でも、そこにもブレは感じないんだけど。
変化はするだろうさ。
しかし、魂売った、って範疇でもねえだろ?
 
じゃあ何が原因ってさ、やっぱ、人なんだけどね。
 
ということを書いててさ、例えば私がどのバンドのこと言ってるか判る人がいるとするでしょ、で、その人が当事者に告げ口するとするでしょ、そうしたらさ、陰口たたかれた、と思われる可能性が高い。
ってのがさ。
問題だと思う。
 
私が、まあ勝手にだけど、このバンドのことをどれだけ心配してるのか、まあそんなことはどうでもいいよ、ともかく、心配だから苦言呈するってのがさ、判らないとずえええええったい変らない。
 
自分の正味のサイズを測ること。
その過程なしに、「自分はだめだからとにかくがんばる」ではだめなんですよ、今の自分が、あるいは本来の自分がどれだけ小さかろうが、繊細だろうが、不幸だろうが、それでいいんだよ、何も悪くなんかねえよ、そっから始めればいいじゃねえかよ。
 
自分の正味のサイズを測るまでは、何も始まってないのと同じことだ。
測る勇気があるのか、ないのか?
自分の小ささを知るのが一体どんな問題なんだ?
 
まずは、いじけや自己憐憫と、正味の自己認識の違いを知ること。
って、私が↑で書いたこと、もうやってるよ! と言われてしまうかも知れないけど、やってるか? ほんと?
やっててこの現状? いや、今はただの過渡期?
そうなの?
 
わたしゃ彼らをめちゃめちゃリスペクトしてるんですよ、だから気づいてほしいんだよ、あらゆることに。
ってかよ、もし私がどのバンドのこと言ってるか判った人がいてさ、彼らと友達だったらさ、いいよ、この文章そのままコピペして読ませてほしいね。
ほんとによくなってほしいと思ってなけりゃ、誤解されるリスク背負ってまでこんなこと書かねえよ。
 
ともかく、人間って、自分の本来の姿や声を無視したまま生きていくのは不可能なんですよ。
「自分はこうで、ああで」って、表面で信じてる自己像ってのがあると思うんだけど、それと本来の姿がズレてると、本来の自分が、絶対に横槍入れてくるんですよ。
それで物事うまくいかなくなったりする。
 
本来の自分と対話すること。
その自分が、どれだけ小さかろうが繊細だろうが、いったん気づいて「そうだったのか」と向き合えたら、もうそれで大丈夫だ。
小さくたってさ、世の中、そんなにでかい人間なんていないと思うよ、それに、繊細さだって、素晴らしい資質だよね、そういう資質のある人は、色々なことに敏感だと思うから、色んなヒントをくれると思うよ、自分の繊細さが。
 
特に男性の場合、繊細な自分を守る、というのは、タフさを要求される社会においては苦慮するところで、方法を間違うことも多いと思うんだが、いいじゃない、自分を守るってのも立派な男気だ、とにかく、もし思い当たることがあったら、一度考えてみてください、自分の本質とは? ほんとに望んでることは?
 
その、素晴らしい資質を、ほんとにむだにしてほしくないからこうして書いた。
本来の自分のよさに気づいてください。
 
ほんとに心底そう思ってる。