ただあの世で祝杯をあげたい

本日サードエントリ。
色々な人の色々な種類の苦悩があって、もちろん私には私の苦悩があって、みんなの人生が終わるときに苦悩が過ぎ去って、なぜか私はここ最近、縁ある人たちと、あっちの世界で「ファッキン人生終わったぜwww」と言いながら祝杯をあげることをよく思い描いている。
この世にいるうちにその祝杯をあげればいいのだろうけれども。
いや、あげられればいいのだろうけれども、あげられない気がするのは、よく判らないけれど、みんなが別個の魂として生きているからで、でも、あっちの世界に行ったら、近しい魂はひとつになっている気がする。
だから、そう、私はそれをreunionと呼んでいるんだけど。
 
まあ別に必ずあっちの世界があると思ってるわけでもなくて……いや、やっぱ、あってもらわないと困るんだよな、早くこの人生が過ぎ去ってほしくて、うんとね、本音を言うとね、何にも期待していない、この人生に。
もちろん潜在意識の書き換えでこれは解決できるけどさ。
しかし今の気持ちとしてはさ。
自分にも期待ゼロ、周囲にも、ほんとは期待ゼロ、この世に期待ゼロ、だからただ、あっちの世界でreunionしたい、祝杯をあげたい。
終わったぜ!!! と。
 
しかしこれは自分としては悲観的な話ではない、昨日書いたけど反映されなかったエントリに書いたのは、「認識」という話なんですよ、絶望だろうが幸福だろうが怒りだろうが無力感だろうが、今はとにかく「認識」してここに並べている。
だからカオスになるし、また、認識するもの、あるいは日常の出来事により、人間だから感情が揺れるのだけれども、基本的には、今私は「認識」する作業をしている、というふうにしか思っていない、自分のなかに何があるかの「認識」。すべての「認識」。