苦悩、でなくて疑い

戦っている最中。
で、戦いの辛さのレベルによるけど、今は自然とMACHINE HEAD延々シャッフルなレベル。
だけど、マシヘな方向へいくときは、必ず励ましがセットになってるから、ありがたい。
 
今日あんまり落ち込んでいたので「The Burning Red」と「Supercharger」の歌詞をじっくり読んでみた。
色々思ったけど、今ふと判ったこと。
"Deafening Silence"にこういう一節がある。

Just when I think I'm sure
Alone at night
The agonies come back,
This pain won't let me be

よし、とか思っても、すぐに苦悩が戻ってくるお(´・ω・`)という感じなのだけれども、私の場合、ここ、疑い、なんだよな。
 
10月も書いたけど、いかに人を信用してないか。
表面の、普通に人と接している精神状態のすぐ下にある、どーせあなたも私が嫌いなんでしょ、どーせすぐにいなくなるんでしょ、という疑い、今ちょっと眠いのであんまり正確なことは書けないけど、ともかく、「どーせ!」と、これは正直すべての人に対して思っている、だから何か、自分はほんとは好かれていないかも、とか、受け入れられていjないかも、とか、そういう不安のスイッチが入ると、同時に「どーせ」と怒りのスイッチが入るので、先日中から私はずっと怒っているし、落ち込んでいるし、そういう自分を判ってほしい人にあたってしまったり、ううむ。よくないな。
 
でも昔みたいな深い沼のような苦しみではない。
色んな感情が、かなり上にあがってきてて、どれを残す、どれを更地にする、って選別をするだけだ、って段階に来てるのが判るから。
 
まあここ数日で、ああ、私は知り合いの大多数にとってどうでもいい存在なんだな、とよく実感できたけど、眠いから正確なことは書けないが、とりあえず、眠い。
 
ってか、言葉にできてるか? できているのか?
ってか、こういう明確に書けない沼のようなものが人生そのものなのか?
ってか、ものすごい変化が起きている気がする、だからカオスぶりが以前に増してすごいのだろう。
ってか、澄むことのない沼が人生だとするなら、カオスは去らない、ということになるが、よく判らんけど、カオスが去らなくても、カオスのなかで何かを生み出す段階なんだろうか。
きっとそうだ。