葬りについて3

以下は二週間ほど前に書いたものに少し変更を加えたものです。upするタイミングをなかなかつかめなかったので放置してた。
MACHINE HEADカテゴリではあるけどましへ嫌いな人でももし私と個人的に親しいならば読んでいただけたら嬉しいです。
あと、私の現状は以下の文章のときからかなり改善していて、今の時点では深刻な心の葛藤はほとんどないです。
あと超絶長いので分けて読んでくださいw

 
以下本文。
 
  
いきなりタイトルと矛盾するが、葬らなくてもいい感じになってきた。
何を葬るかと言うと、自分のなかにいる、子供としての自分、という話を以前書いていたのだが。
 
両親、親戚、すべての背景により、私はとにかく子供としての自分を、自分の血縁、すなわち彼女を一番傷つけてきた人たちの手の届かないところに葬ってあげようとしていたのだが、どうももうその必要はないらしい、つまり、彼女は生きていてもいいと思えるようになったらしい。
  
と、言うか、今はとても静かだ。
私はよく「心が凪ぐ」という言い方を自分のなかでするのだが、それとも違う、ただ、静かになった。
静かならば"silent"で、それは私が最近よく言っている悪い意味での「空白」「silence」と同じことではないか、と思うかも知れないが、違う、あれらは存在感がある、空白ならばそれはそこに「ある」ことが判り、それは生きる気力を根底から殺ぐし、silenceならば、それは耳を圧迫するsilenceで、耳から入って脳を食い荒らす。
今の静かさは、苦しみが終ったゆえの静かさで、「平穏」だ。
そして、静かなのは、私のなかの子供が黙ったからだ。今は特に言うことはないらしい。両親にだけは絶対に心を開きたくないという希望以外は。
 
この静かさの訪れは、もちろん、こないだうち東京に行った際、心の問題を解決する専門家の手を借りたからなのだが、同時にひとつ、自分で対処していく方法を、当座手に入れたからだとも言える。
それがMACHIEN HEADとロブ・フリンの存在だったから、彼らが日本にいたあいだ、けっこう膨大な量の文章を書いていたのだが。
 
今回は、そのものずばり、は書かないけど、ほとんど、判る人には判ってしまう書き方で、私のなかの子供を葬らなくてよくなった経緯を書く。
 
 
ロブ・フリンに渡した手紙に、「いつか"Seasons Wither"をやってね」と書いておいたのだが、書いたときは歌詞に関係なく曲が好きなので。という理由だった。
んだけど、手紙を託して2日後の朝、それはすなわち午後にはMACHINE HEADのため大阪に向う日だったのだが、なぜかロブのことが頭をよぎると胸がしくしくと痛くなり、晴れて手紙を託せたのに、この痛みは何だ、と。
不思議に思いながら仕事して、午後、大阪への新幹線で、ふと、
「"Seasons Wither"の歌詞って確か……」
と思ってケータイで検索した。
この曲は、彼が子供のころに遭った大変不幸な出来事に関する一連の曲のひとつだ。
(MACHINE HEADに詳しくない人へ:"molested as a child"という英語をhttp://translate.google.co.jp/translate_t#で翻訳してみてください。)
昔一度歌詞を読んだときは、ああ、ロブは自分の過去の不幸な出来事に関して、「自分」の痛みとしてでなく、「他人のなかにある痛み」として書く(書ける)ようになったんだなと思って、そのまま、深く考えなかったのだけど、改めて読んで、今朝からの胸の痛みは、私の心の深いところが、この歌詞を呼んでいたのかな、と思った。
 
ちょっと話ずれるけど、人の感情って、自分で自覚しているものと、根底でほんとに感じてるものは違うらしいんですよ。
一般的には潜在意識という言葉で言われるけど、私は自分の根底の何かを、inner child、すなわちさっきから書いてる、自分のなかの子供として具体化して想像してるんだけど、表層では何も感情として感じないのに、ただ、ロブを思い浮べると物理的に胸がしくしく痛む現象を経験して、これはそのまま自分のなかの子供の痛みなのではないかと思った。
 
訳す余裕ないので、オリジナルの歌詞だけ転載する。

The taste of avenging blood
Suffer horror she's withstood
Disgust, the core of her soul
The crime takes a new toll
Rapes the soul
 
Hear her pain
Listen
To what she'd scream
I'm gonna see you bleeding
Face down in the dirt
I'm gonna give you back what
You've taken with hurt
You coward
I'm gonna spit right into you face
In grace you'll be no more
 
This scar makes her heart stronger
Your breath makes her days longer
Life gained through your dying eyes
Revenge, life's bitter prize
Feel reprise
 
Hear her pain
And listen
To what she'd scream
I'm gonna see you bleeding
Face down in the dirt
I'm gonna give you back what
You've taken with hurt
You coward
I'm gonna spit right into you face
In grace you'll be no more
 
The seasons wither away
The seasons wither away
The seasons wither away
The seasons wither away
 
And we pray you die
We pray you suffocate
In pain you writhe
This day we celebrate
This day we celebrate
Desecrate
 
This mind and body
This heart and soul
Will not be trampled
Will not crumble
You can't hurt me
Your power's control denied
And you can't rape me
That moment's effect has died
You're a fucking shell that's dead in my eyes
Dead!
Dead!

自分のなかの子供は、これらの言葉が聞きたかったのだと思われる。
しかも、ロブ・フリンが歌うのでなければ意味がないのだというのは、
"Hear her pain/Listen to what she'd scream"
の部分を歌うロブの声を聴いて気づいた。
傷が長い時間ののちに力に直結することを証明するような、彼と同じ傷を受けた者すべてのため、外部の敵には絶対的に立ちはだかるのだという、断固たる、断固たる宣言の声だ。
(↑の部分にも対訳はつけないが、ひとつ注釈を加えると、"what she'd scream"は"what she would scream"で、"would"を使っているから仮定法なので、この"she"は実際に痛みを口にはしない、だから、心にある、外に出せない叫び、という意味が"would"に含まれている。)
新幹線でこの曲をリピートしながら、もし、もし、これが来日中に演奏されるなら、これは私のなかの子供の完璧なレクイエムになると思った。
もし演らなくても、自分のなかで時がきたときに、この曲で子供を葬ろうと決めた。
 
 
ところで、今私が辿り着いているのが、自分のほんとの気持ちを託すという点においては自分がいかに人を信用していないかを痛感する段階なのだが、一番私が信用していないのは両親だと気づいてもいる。
子供のころの不幸な出来事の現場に送り出したのも両親で、まあそれは彼らもそんなこと予期できなかったから不可抗力にしても、その後、私が示していた、出来事の後遺症に関して、何か原因があった、と思わずに、すべて、「この子が異常だから」で片づけてきたことが、何がどうあっても許せない。(もちろんいつかは許す。)
 
私が最初にロブ・フリンに共感を覚えたのは、この点についてだった。
"Trephination"という曲で、不幸な出来事が原因で、子供のころにやっていた異常行動に関して、"Thinking all the time there's something wrong with me"と歌っていた。
異常行動の内容も実は同じだったし、思ってたことも一緒だった。
 
自分の根幹につけられた傷、そしてその傷から派生する一連の事柄に関して、そしてそう、もちろんそれは私が起きた出来事を両親に話さなかったからだし(話したら血縁のなかで殺人者が出るかも知れないのを、幼いながらに知っていたのだろう)、話さなかったことを判れというのはムリな話だが、それでも、一瞬でも、私の子供のころの異常性が「外から加えられた」ものである可能性を、彼らが一瞬でも考えてくれたなら、私は彼らを信用しただろう。 
しかし、そういう一瞬はなかった。
 
 
出来事そのものに関しては、以前に一度専門家を頼っている。
奥に奥に封印してきたものだったので、長いあいだ、出来事そのものを忘れていたし、あるときそこに「帰って」いくようにそのことを思い出すようになっても、すごく心が揺れるということもなく、でもそのうち、いつかはこのことに対峙せねばならないのだろうなと思うようになった。
 
専門家のもとでは、色々な方法があるのだけれども、私が選択したのは、出来事をテレビのなかの出来事として、ビデオの物語として頭のなかで再生し、その後、そのビデオを逆回しで再生して、でそのビデオをデッキから出し、磁気テープを引きずり出して、はさみで細切れに切って捨てるところを想像する、という方法だった。
(ひとりでこれをおこなって効果があるかは判らないので留意願います。)
おかげで、なのだろうけれど、その後、出来事を思い出そうすると、逆回しで見たときの最後の場面、つまり、出来事を起るまえ、そのことが起った建物に入っていくまえの映像が静止画として浮ぶようになり、出来事に入っていくことはなくなった。
 
しかし、あえて現場を思い出すことはできるわけで、思い出してももう何も感じないにしても、何かあの出来事を起さない手段があるような、例えば、やはり専門家のもとでは、今の自分がその場面に入っていて加害者を止めるとか、いろいろな方法があり、まあ私はこれらの方法は取らずにビデオの方法を取ったのだけれど、それは、自分で自分が頼りにならないと思っているということで、両親にいたっては、加害者を止める救世主として彼らを私の記憶のなかに登場させることは、思いつきもしなかった。
 
 
MACHINE HEADのため大阪に向い、2日滞在し、帰路についたが、2日のうちかなりの割合を、"Seasons Wither"を聴いて過した。
この曲、前半は主語を"she"にして、他人の傷について歌っているのだけれども、最後は"this"を使ったり"me=I"が主語になって、ロブは自らの決意として歌う。
もう自分は踏みつけにされない、もう自分は崩れない、と。
 
この曲におけるロブの決意、自分を鉄壁と言っていい強さで守る決意、外の敵に決して屈しないという決意、敵の屍のうえに生きてやろうという決意("Your breath makes her days longer/Life gained through your dying eyes")、この強さは言葉を超えて圧倒的だ。
そして私が一番好き、と言うか言葉にしてもらって非常にありがたかったのはこの部分。

You can't hurt me
Your power's control denied
And you can't rape me
That moment's effect has died

"denied"という強い言葉も心強いし、また、確かに人生振り返ると、"that moment's effect"の下に生きてきたというのはまさに言い得ていて、しかしその"effect"はもう"has died"なのだという、これまた力強い宣言のしかたがあるんだということを教えてくれた。
 
そして、この曲の前半で"she"を主語にしたということは、最初に書いたように、彼は「他人にある傷について」という形でこの曲の前半を書いた、つまり、彼は自分以外の人間のために立てる段階にきたのだ、だから、だから。
ライヴのあいだ以外の時間、"Seasons Wither"を聴きまくった大阪滞在から帰り、名古屋の地下鉄に乗っていたら、いきなり私の不幸な出来事の場面が頭にすべりこんできて、しかし、しかし、そこにロブ・フリンがいた。
彼なら出来事を止められる、彼なら絶対に子供の私を守れる、彼なら絶対の守りになる、現実では起ってしまった出来事が子供の根幹を蝕むのを止められる、もし蝕まれても汚れたわけではないと断固として言ってくれる、だから、だから、今の私には彼しか記憶のなかに登場させられない、同じ傷を知る彼しか、絶対的信用を持てる存在として登場させられない。
 
これはもちろん、実際のロブ・フリンとはもはや関係ない次元の話になっている。
「私のなかの」ロブ・フリンであって、現実の彼には個人的には何も望むことはないw
ってか、不幸のクロスとか、不気味な符合とか、そしてまた彼への感謝については、もう彼に伝えた。
そしてもう、それでいい。
彼がそれについてどう思ったのか、思わなかったのか、私は知らなくていい。
現実におけるMACHINE HEADとロブ・フリンについては、すでに新しいところに踏み出しているからね、日本のファンの一員として。
 
 
記憶のなかの不幸の現場にロブ・フリンの姿を見て以来、同じ場所を思い出すと、そこは無人になっている。
誰もいない。
何も起らない。
 
私の子供は今、特に言うことはないらしい。両親は遠ざけたいんだということ以外。
だからまあ、両親のことになると、まだ彼女は荒れ狂う。
自分を殴ろうとする、ものを壊す。
が、そこでも私は自分のなかのロブ・フリンを想像する。
彼は修羅の子供の体をかばって言う、大丈夫だ、と。
彼に言われれば子供はすぐにおさまる。
怒りにまかせて自分を傷つけようとしたり、ものを壊したりしてはいけないということを悟る――たぶん人生で初めて。頭でなく、心の理解を。
しかし続けてロブから教えられるのは、そんな自分を恥じなくてもいいこと、何がどうなっても絶対に、絶対に、大丈夫なんだということ、すなわち、
"Sun will shine, this I promise"
――"Imperium"より