読ませたもの勝ち

コメントありがとうございます、おへんじはのちほど。
関係ないけど、10月から、NHKイタリア語会話が、私が死ぬほど観たかった去年のシリーズの再放送!!!!!
これは名古屋市民を総動員して祭りをやらねばならぬレベルのめでたさだ。
 
 
本題は以下。(昨日予告したように、笙野頼子の文章を読んで気づいたこと。)
 
 
内容など関係ない、ひたすら、どう書かれているかが重要だと、最近はひとの文章を読んでいて思う。
 
昔はそうでもなかったけど、今はネットでひとの日記を読むのがけっこう好きだ。
「ちょwww」と笑わせてくれる表現が、案外含まれているので。
だから私が感想をつけるときはたいがいが書いた人の発言を「>」でひっぱって、下に「wwwww」とつけるという、一見荒らしかと思われるような感想をつけてしまうが、私にとっては、「wwwww」と思えたのは大変重要で、書いた人に対する最大のリスペクトのひとつだ。
でも、「wwwww」←こんな感想つけられても困ると思うので、「ちょwww」と思ってもめったに「wwwww」を伝えないが、私は「ちょwww」のために文章を読んでいる。
 
とはっきり気づいたのは、小説でさえそういうレベルで読んでいると最近判ってからで、言葉の羅列はそのまま快感なのだ、本当にセンスのある人の文章を読むのはカタルシスでなく、現実逃避でなく、自己投影でなく、ただ快感なのだ、そのために今は文章を読んでいる。
なぜなら、内容は、読ませた、その先にしかない。
とりあえず読ませたもん勝ちだ。
書き手にとっては、読者の目を文章に乗せて移動させ続けられる以上の勝利は、おそらくない、とりあえず、私のなかでは、今のところ。