友は敗北宣言をしたわけだが

あとちょっとで私もラクになりそうだ、もう少しカオスにお付き合いください。
(興味あるかたは。)
 
 
親友の石塚(仮名)が数年前、言っていたことがあった。
自分はもう男に敗北宣言をしたと。
体力の面で、どうしてもかなわないので。
 
結局、子供を持つとか、生命がどーのとか、母性がどーのとか、そういうことに関心がないと、ほんと女に生まれても不幸なだけだと思う。
(これはあくまでも私の感じ方だが。)
「女性の人生にも素晴らしいことがいっぱいある!」
とか力説されても、
「いや……それらに興味がないんですが……」
としか答えようがない。
 
特に、石塚なんかも、洞察力等鋭すぎて、色々判ってしまいすぎるだけに、いろいろ面倒だったろうなと思う。
これまた私個人の感じ方だが、女性に生れてあまり頭の性能が一部発達しすぎている部分があると、幸せになりにくい。
女こそバカでいたら人生破綻だ、と思っていたころもあったが、今はそう思わない。
  
 
実は今朝、私も敗北宣言をしようと考えていた。
男への敗北宣言、と言うより、これまで自分が執着してきたことへの敗北宣言、と言うか。
私はほんと、女でいてよかったと思うことはほとんどないので。
男になりたくてなりたくて、それだけを追い求めた人生だった、ような気もする。
しかし同時に男性があまり好きでないので(個人に対して反感は持っていない、「男性」というコンセプトが嫌いだ)、性別に関して非常にねじまがったものを持っており、そうだなあ、その苦しみは正直壮絶……だったかなあ。
 
ゆうべ、自分は、んもう絶対に男性的思考とか男性的感性とか、持ち得ないと証明されたので、もうこの戦い、非常に不毛な、自分のなかだけの、戦い、これを終らせようと思い、そしてまた、終ったあとを想像したら、すがすがしい、と感じたのだけれども、今はまだちょっと立ち止まっているな。
 
私はまだどっか、「苦しんでいたい」というのがあるらしく、自分で問題を作って考えるのが好きなので、でも、それをすべて建設的な方向に持っていけたら、どんなにか素晴らしいかと思う。
 
が、それには、まず自分が女でしかありえないということを受け入れねばならないのだが、それが、どうしても、女性には申し訳ないが、私にとっては「敗北宣言」と同義なのだ。
それはただ、最初に書いたように、子供を持つこと、生命賛歌、母性、そういうものに興味が皆無だからなのだが。
 
何だろうなあ、ただ激しさのみがあり、自由への渇望のみがあり、エネルギーの発露への願望のみがあり、でも属性が女だというのは、やっぱり酷だと考える。
 
私はやっぱり、自由が羨ましくて男性に憧れるのだ。
それは時にファンになるという心理だったり、恋愛感情だったり、色々な形で現れるのだが、私はやっぱりあの人たち(私の憧れる男性たち)になりたかった、だけなのだろう。
 
絶対に実現しない願望。
まだそれを持ち続けることに意味はあるか?
 
ないと判っているからこうやってうだうだしているw