ほへ〜ん

すうううっかり、うるせー音楽の話がなくなってしまいました。
何日音楽聴いてないかなあ。
そのわりに、何気に歌詞対訳の仕事が復活してる。
これからリリースラッシュという噂なのだけど、お手柔らかにお願いしますよ、といった感じか。
 
最近、
「翻訳」って、どうなのでしょう?
とか、
最近、翻訳から逃避してるんだ。
というようなエントリを何度か書こうと思って書かなかったけど、まあ、外国語を「手段」として勉強して、それを直接言語と関係ないものに役立てることができる人々を羨ましく思った、ということだと思われる。
 
通訳の辛さは、「あとで調べときます」が言えないことなんだが、言葉による呪縛は翻訳のほうがずっときついね。
「間違えてもいい」という自由さは、おそらく翻訳には存在しない。
通訳にも存在しないけど、究極的には、時間の余裕と言う観点から、翻訳のほうが周囲の目が厳しくなると思う。
(例えば医者にも「間違えてもいい」という自由さは存在しないけど、、、何だろうな、結局、今までのあらゆることに疲れて(脱却して)、今違う方法論を自分でうちたてている最中なのだろう。)
 
「翻訳? 興味ありませんがな」
と言える人になりたいなあというのもある。
 
けっこう長い間、かわうそが「だしっだしっ」とコンビニの店員につめよっていたように、私は「翻訳っ翻訳っ」という状態の人だったんだが、そうでなくなった今のほうがらくかなあと思う。
「約束」を売っていたかわうそが、「えーとね、じゃあ毎晩11時にこういうかっこうをします」と言っていたときのようなattitudeで、しかしアウトプットの質が変らなければ、それでいい気がする。
(私はかわいそうなことにドラえもん伝染るんです。でしか比喩ができない人なのである。)
 
 
まあともかくそんなわけで、流れに身を任せてみます ノシ