今さら3/18について

MACHINE HEAD、3/18@渋谷O-EASTの件。
感想じゃなくてロブ・フリンに関して思ったことを書くだけなのでライヴの様子はずえんずえん判らないと思います。悪しからず。
 
 
ライヴに行くまえに少し"Descend the Shades of Night"について書いたけど(→兄貴の日)、そう、ライヴに行く数週間前から、自分のなかで「弱さ」がキーワードになってた。
自分の人生振り返って、結局、ほんと弱い人間でした、とうなだれると同時に、この弱さをどうしたもんかと考えていた。
 
何度か書いてるけど、私はロブ・フリンと誕生日が一緒で(もちろん年は違うw)、勝手に「兄貴」とか呼んでるのもそこから来ているのだが、勝手に、私の持つこういう感じ、単純に言うと敏感で困る感じ(まあ鈍感なとこは鈍感だが)、これを持っているんだろうと思い、ロブがこれを抱えつつああやってがんばっていることに敬意を表するつもりでも「兄貴」と呼んでいる。
 
ってかほんと、去年のLoud Parkんとき、あれだけ多くのファンが大盛況でMACHINE HEADを迎えたことが、嬉しかったんだよなあ。
 
ロブ・フリンは私にとって星のようなものでね。
特に一度成功してから落ち目を経験して、でまた今のように這い上がってきたという事実は、あまりにまぶしい。
そしてまた、大きな励ましでもある。
特に"Imperium"の以下の歌詞に励まされてきた。(和訳御免。)

Give me the will to fight
Every obstacle that I have inside

My every weakness I must turn into strength

Just listen to it
Voice so true inside calling
To stand you up and march you on
Keep from falling
Let go your sorrow
Sun will shine, this I promise

 
 
しかし、今年に入り、自分のなかで細部での調整がうまくいかなくなってきていた。
強くあるのが難しい状況にいたのは確かだったが、正直、もう白旗を揚げようかという思いがよぎったりもした。
これはかつてないことで、何があっても私はひつこく「でも自分は今よりよくなる」と信じ続けていた。
のが、もう、だめかと、もう、諦めようと、敗北感を感じ始め、どのバンドであれ「励まし系」の歌詞を耳にしても心鼓舞されることはなくなっていた。
 
それはやはり弱さだったのだろうと思う。
だから、敗北感と同時に、敵はこの弱さか、と気づいた、と同時に、この弱さをどうにかすればまだどうにかなるのではとまたひつこく思ったりもした。
 
3/18のエントリ、「兄貴の日(何か吉本新喜劇のタイトルみたいだな)」で、
「兄貴は弱さに言及することがある」
と書いたが、ロブ・フリンは弱さに関してこう言っている。

  • My every weakness I must turn into strength(自分の弱さすべてを力に変えなければ)/"Imperium"
  • I hate me for this weakness(この弱さゆえに自分が憎い)/"Descend the Shades of Night"

 
さっき書いたように、前者のような歌詞で励まされるのは私には難しくなっていた、そんなころ、後者の"Descend the Shades of Night"で、兄貴も自分の弱さを憎むことがあったんだね……と気づいて「(´;ω;`)ウッ…」となっていた。
 
 
3/18のライヴでは幸いにもフィル側2列めにつけることができた。
ロブもけっこう見える位置だった。
だがライヴはライヴだ。
私は、そのバンドの音がほんと〜に好きだと、ライヴでは音と空気以外あまり重視しなくなるため(ってかステージが見えないことに拘泥し始めるとしょんぼりして集中できなくなるので音と空気重視になったのだと思う)、あまりステージを注視していたわけではない。
(前のほうに行くのは、ステージもそれなりに見える状況を確保する保険をかけるためだ。)
 
しかし、本編が終って、アコギがセッティングされ"Descend the Shades of Night"が始まると、兄貴を見つめないではいられなかった。
この曲は本来、大切な存在を亡くした人たちに向けたものなのだけれども、申し訳ないがそこはスルーして、様々なことがあった過去を経て、神々しいまでの強さを身につけた兄貴を見つめていた。
自分が兄貴ほどになれるかは判らないが、ともかく兄貴は私にとっては星だ、自分はもうこれ以上ましになれないんじゃないかという闇のなかでの唯一の星だ。
 
一度目のサビが終り、二度目のAメロ、
"Ashen clouds obscure my brain/Doubts begin to turn to shame/Insecureness tears at bliss"、
このあとのあの言葉、
"I hate me for this weakness"
で、兄貴は
"for this weakness"
と言いながら右手拳で自分の胸をたたいた。
今振り返ると、あの兄貴の姿を見るために東京に行ったと言っても過言ではない。
 
私はそれまで、自分の弱さを、どうやらこれが自分の一番の元凶だと気づいたこの弱さを、忌み嫌っていた。
が、ロブ・フリンは、"I hate me for this weakness"と言いながらも、本当はその弱さを忌み嫌っているのではなかった、とあの姿を見て判った。
弱さをなぐりつけるような仕草でありながら、あれは、弱さを励ましてもいる、慈しんでもいるようにも見えた。
 
ロブは恐らく今でも、彼が「弱さ」と呼ぶものと一緒に生きている。
迫力・貫禄が増したと久々に見た日本のファンから驚かれ、ヘヴィロックシーンの新しいアイコンだとか呼ばれるようになった今でも、弱さと一緒に生きている。
 
私はこれに気づいて、自分がずっと大きな勘違いをしていたと悟った。
私は「変る」ことばかりに目がいっていた。
生れ持った性質をもてあましていたから、これが強さとか、判りやすくポジなものに変るのを願っていた。
端的に言えば、私が言い続けた「ましになる」とか「苦しくなくなる」ということは、「変らなければ」実現しないと思っていた。
 
けど、自分の核は変らないんだよね。
ほんとうは、自分の核が本当に自分らしくあることが、私の目標だったんだよね。
核に弱さがあるのならば、共存するしかない。
 
前はこういったセリフを、うなだれながら言っていた気がする。どうしようもないんだと。
が、今は、弱さを励ますという方法を、慈しむという方法を、兄貴から教えてもらった。
 
そして、"I hate me for this weakness"のあと、歌詞はこう続く。

Faith drives me to carry on
信念が俺を前へ進ませる
And take the road less travelled on
人の行かぬ道を選ばせる

弱点を認めたのちにも歩き続ける、それがロブ・フリンの強さだ。