「キングがいく-MACHINE HEADによる被害報告編」19

下記はSLAYERとMACHINE HEADを茶化すために書いたフィクションです。

MACHINE HEADファン向け19.
 
「なに、それ」
 しょんぼりしているのではない、冷静なゆえの落ち着いたロブの声に、デイヴは安堵した。サンフランシスコに戻ってから、すぐにロブのスタジオを訪れてよかった。
 訪れるまで、ケリーから聞いた話をそのまま伝えてよいものか、デイヴは悩んだ。
 SLAYERとケリー・キングをリスペクトし続けてきたロブのことを思うと、真実はあまりに酷な気がした。人間は、長年自分を支えてきたものに、実はそれほど価値がなかったと知ると、自我崩壊を起こす。
 だが、デイヴも、自分のことを考えなくてはならない。
 デイヴはすでに、「ケリー・キング」どころか「SLAYER」と耳にするだけで「ぷっ」と笑えてしまう状態になっていた。
 そんな自分の横で、ロブが「SLAYERはさすがだなあ」などとうっとりしながらSLAYERのアルバムを聴いていた日には、「ちょ、おま、そんな、お笑いバンド、真面目に聴くなよ」と笑いすぎに苦しみながら抗議しなければならなくなる。
 それはそれで、しょんぼりロブを守りするのと同じくらいの面倒くささがあるだろう。
「まあある意味、トリプルコンボだったんじゃね?」
 デイヴが言う。「ピザと、あ、そうすかと、ステーキの」
 ロブは何も言わず、腕を組んだまま考えているようだった。目のあいだに力が入っているような、微妙にしかめっ面をしながら。その苛だちと取れる感情が、こんな事実を伝えたデイヴに対するものなのか、そんな事実を理由にMACHINE HEADつぶしをしていたケリーに対するものなのか、はたまた、そんなケリーに心酔し、1年半をしょんぼりして棒にふった自分に対してのものなのか、もちろんデイヴには判らない。
 そのうち、ロブは肩を上げ、そして大きく息を吐くと、立ち上がった。壁に貼ってあるポスターの一群に向かい、SLAYERのものに手をかける。
 5秒後にはポスターはゴミ箱送りになっていた。ロブは「ほんとだったらトマトの海に沈めてやりてえところだ」と呟いてから、
「メタルはしつこい音楽だって? じゃあそのしつこさに悶えるほどのものを作ってやろうじゃねえか。どの曲も、どの部分も――」
「ちょっと待った」
 デイヴが手を上げる。
 ロブが「なんだよ」とデイヴをにらむと、
「いちおう確認しておきたいんだけど、おまえ、もう普通に戻ったんだよな?」
「普通?」
「もうしょんぼりはやめたんだよな?」
「なんのことだ?」
「いや、この1年半ほどおまえ、ライヴだけ威勢がいい二重人格になってたじゃん」
「二重……? すまん、言ってる意味が全然わからない、おまえ大丈夫か」
「いや、あのお、おたくのその繊細な心はケリー・キングの悪口雑言に打ち砕かれたのだった、みたいな展開がこの1年半ほどのあいだにあったような――」
「おたくの、ってなんだ、おまえほんとにおかしいぞ、らしくねえな」
 ロブはデイヴの前まで自分のイスを持ってくると、顔を覗きこみながら言った。
「なあ、悩みがあるなら相談に乗るぜ」
 ――MACHINE HEADリーダー、完全復活。
 
 2003年秋、MACHINE HEADは5枚目にあたる『Through the Ashes of Empires』をリリース。(しつこさは前作の6割増し)
 複雑な展開、折り重なるギターリフ、構築されたリズム、それらはメタル本来の持ち味を120%生かしたものであり、音楽雑誌各誌、そしてネット上でも軒並み高評価を得た。「原点回帰」という言葉も多く聞かれた。
 当初、リリースはヨーロッパと日本だけにとどまっていたが、これらの地域でのセールスが好調に伸びていくさなか、アメリカでもリリースが決定。
 MACHINE HEADは地に足をつけた成功を再び手に入れた。
 
 一方、SLAYERのケリー・キングは、インタビューではほとんどMACHINE HEADの名前は口にしなくなった。
 バンド自体の活動は順調で、年々、アメリカのヘヴィロックシーンにおけるSLAYERの地位は向上し、ライヴをやれば、楽屋は厳戒態勢となる。
 一部では、それは楽屋に決してトマトを使った料理を入れないためであると囁かれていた。が、真相はSLAYERとバンドにごく近い人間しか知らない。

 時はさらにうつり、2006年。ケリー・キングとロブ・フリンが和解したとの情報がインターネット上で流れた。
 しかし、ネットの常、その真偽は定かではない。
  
(SLAYERファンむけ19は後up。)
 
全編はこちらにupしてあります。
http://homepage3.nifty.com/kreutzer/KiokuStoriesKingFlynnInt.htm