英語の発音について

以前リクエストもあったので、書いてみる。
特に、歌における発音の話。
まあ、だらだらと書いてみよう。
 
日本人は、とってもなまりを気にするゆえ、歌う際もそれにとらわれ、肝心の歌に集中できないこともあると思う。
でも、マックス・カバレラだって、アンディ・デリスだって、アンドレ・マトスだって、ビョークだって、アンダース・フリーデンだって、セリーヌ・ディオンだって、なまりまくっている!
んだけど、そうなんだよね、日本語なまりは通じにくいというのが通説だからね、なまりを直したい! という気持ちはとっても判る。
 
何で日本語なまりの英語が通じにくいのか(あるいは通じにくいと思い込んでいるか)に関しては長くなるので全部は書かないが、今日は日本語話者が英語の歌においておちいりがちな点について書く。
(明らかに日本語にない音、「th」や「f」などについては、習得するしかないので割愛。)
 
 
1.口の周りの筋肉が常に弛緩している
これはある意味日本語の最大の特徴のひとつである。
日本語の最大の特徴は「常に子音+母音」の組合せになることで、例えば「salad」が「さらだ」になってしまうとか、このあたりの指摘はずっとされてきたが、これと並ぶ最大の特徴と思う。
これがよく判るのは、例えば「お」や「う」の発音で、最大限、筋肉を緊張させないレベルにおいて発音され、筋肉を使って唇を必ず丸めなければならないほかの言語の「o」や「u」とは異なる。日本語の、特に「う」は口が横に開いている。
子音でも、「b」なんかは、ほかの言語では唇をもっと緊張させてから「b」と破裂させるが、日本語は緊張が少なく、ある意味滑らかに「b」の音が出てくる。
個人的には、「w」を気をつけると、より「らしく」聞こえると思う。
さきほどの「う」と関連するが、「w」を日本語の「う」で代用してはいけない。必ず唇を丸めて突き出す。
「wood」なんかも、「うdd」では弱い。通じないことはないと思うが、かなり「日本語ぽい」英語になってしまう。「wild」なんかも、「わいld」では微妙だな。唇を丸めて突き出してから「あ」に移行する。
 
 
2.子音をスキップしてしまう
速い歌などで、子音がたてこんでいるとき、子音を抜かすことでスピードに合わせようとする傾向がある。
理由はふたつあって、
1)子音が並ぶ発音に慣れていない
2)日本語が拍志向の言語なため、子音のみの部分も1拍を当てようとし、曲のリズムと合わず破綻し、結局拍に乗らない子音を略す
 
1)はすでに広く了解されていると思う。
ということで、まず2)に出てくる「拍」という概念なのだけれども、これは英語などにある音節という概念とは違う。
例えば、「love」という単語は英語では1音節だが、日本語的発想でいくと、2拍になる。
これは、「ve」という、本来発音は「v」のみ、つまり子音のみであるところに、日本語的に「う」という母音を足してしまうから、ではない。
日本語では、子音のみの部分にも1拍を当てる。
「ん」はほかの言語では「n」や「ng」や「m」にあたり、子音なのだが、これも1拍と数える。「しんぶん」は4拍。
「っ」にも1拍を当てる。「しっぽ」は3拍。
だから、歌でも、「いた」はふたつの拍にのせるが、「言った/行った」はみっつの拍にのせる。さもなくば「いた」と区別がつかなくなる。
思うに、日本語話者は、上記1)2)のいずれか、と言うより、二重構造で子音を抜かす。
1)を克服しようとするが、2)によって結局子音を処理しきれなくなる、といったところだと思う。
 
英語ネイティヴでも、子音を消失させて発音することは、もちろんある。
ただこれは、強勢(アクセント)から遠いものが弱くなってほとんど聞こえなくなるだけであって、抜かされる、というのとは違う。
例えば、「Just me」は「jusme」のように聞こえるけれども、「just」の「t」は抜かされているのではなく弱くなってあまり聞こえないのであって、英語話者の口の中では「t」、あるいはそれに近い音を形作る作業は行われている。あるいは、もし行われていなくても、行おうとする作業は発生している。
だから、「Just you and me」になれば、たちまち「t」がはっきり出て、「Juschuan(d)me」のようになることがある。
(「and」の「d」は、「n」と同化しがちで聞こえなくなる。)
なので、個人的には、↑の場合であれば、「just」の「t」を抜かすと「らしく」聞こえるよ、というようなアドバイスは有益でないように思う。
日本人にとってはそのほうが楽なのでそういう指南もおそらく世間にはあると思うのだが、私は推奨しない。
「t」を発話しようとする作業はあくまでも存在することを意識するほうが、英語話者の発音に近づく。
 
 
3.母音を全て同じ重みではっきり発音する
これは1.と矛盾するようだが。
日本語には5つしか母音がない(と認識されている)ので、それらを外国語の発音に当てはめようとするとき、日本語話者は、各母音の中でも一番はっきりとした音を出すようつとめる。
これは特に悪いことではなく、1.で書いたように、意識して口を動かしたほうが、確かに外国語らしく聞こえるのである。
が、英語の場合、アクセントの有無が大変にものを言う。
アクセントのくる母音ははっきり発音されるが、こないものはあいまい母音化する。(←これは英語の発音の最大の特徴のひとつ。)
例えば、「immediately」という言葉は「mme」の「e」にアクセントがあるので、通常、最初の「i」ははっきりとした「い」ではなく日本語話者には「あ」に聞こえるような音に変わる。(ただしあいまいで暗い「あ」。)
あるいは、さっきちょうどBLUE MURDERを聴いていて、"Billy"という曲があったが、「Billy」は「びりー」ではなく、極端に言えば「びれー」のように聞こえる。
「れー」の母音は、「い」と「え」の中間のような「い」である。
というわけで、各単語、あるいは歌詞の文脈におけるアクセントを意識するのは大変重要。
だが、さきほど書いたように、日本語は拍志向の言語で、アクセントは音の高低で決めるため、全ての拍に同じ重みを与えがちになる。
 
 
日本人の英語は、のっぺりして聞こえるが、上記3点全てがその理由に寄与していると思う。
個人的には、会話などは通じさえすれば母国語なまりなんて問題じゃないと思うし、歌においても、別になまっていていいと思うが、せっかく「世界共通語」として歌に英語を使用するなら、より通じやすい発音を目指すのは重要ととらえる。
 
ちなみに、なぜ日本語なまりの英語が通じにくいかの理由は書かない、と最初に言ったけど、結局は、↑に書いたような理由からきているので、まあ結局書いたことになるな。