村上龍/五分後の世界

kreutzer2005-04-23

五分のずれで現れたもう一つの日本は、人口二十六万に激減し地下に建国されていた。駐留する連合国軍相手にゲリラ戦を続ける日本国軍兵士たち――。戦闘国家の壮絶な聖戦を描き、著者自ら最高傑作と語る衝撃の長編小説。
  
――幻冬舎文庫背表紙より

この本には、「ヒュウガ・ウィルス」という続編があり、自分はそっちを先に読み、いたくショックを受け、しばらくしてからこちらの「五分後の世界」を読んだのだが、それは4年前くらいのことで、今回は2度目である。
1回目は、ほとんど「滑りながら」読んだと言ってよく、興味のない戦闘シーンが長すぎて、ストーリー展開でも引っ張っていく「ヒュウガ・ウィルス」と比べると全く期待はずれであったのだが、今回じっくり読み、やっと内容と作者の言いたいことが腑に落ちた(もちろん自分勝手な解釈だけどねw)。
  
この小説の中では、日本は第二次世界大戦で敗戦を宣言せず、地下に潜って戦い続けており、そこに今わしらがいる現実から1人の男が迷い込む、という設定になっている。
わしらのいる「現実」と「五分後の世界」の最大の違いは、日本人がアメリカの精神的奴隷になっているか否かであり、読んでいる途中、現実の自分たちがどれだけアメリカまみれになっているか、省みて、恥辱にまみれることとなる。(関係ないが、「恥辱にまみれる」という言葉を町田康が使っているのを読んで以来忘れられない言い回しになっている。)
  
この小説での世界の構図のベースにあり、そして現実とあまりに違うのは、「アジア人、日本人というのが憧れられる人種」であるという点だ。憧れと言うより、「畏敬の念」と言っても過言ではない感情を、他人種とアジア系の「混血児」と呼ばれる大多数から持たれている。
それはもちろん、地下に潜った「日本人」たちが「誰にでも、人種も出自も文化的バックグラウンドも関係なく、誰にでも判りやすい方法でその誇りを示している」からなのだが、この、「誰にでも判る方法で」というのは、村上龍がけっこう口にすることで(最近の著書は読んでないので最近のことは知らんけど)、自分もたまにそれについて考えたりする。
自分がほんのちょっと、1年あまり豪州で暮して、日本に帰ってきたとき、何が一番異様に感じたかと言うと、テレビドラマだった。日本人でなければ、今の日本で生まれ育っていなければ判らない何かが根底に脈々とあり、そこには外部に働きかけるものは何も存在しない、そういう印象を受けた。
まーそりゃ国内向けドラマだから外に語りかける必要はないのだが、これだけ西洋のドラマ・物語が受け入れられている現代において、そして韓国ドラマの流行という現象が起るのを見ても、ある国が国内向けに作ったものも、十分外から理解される要素を持つのが普通なのだと思うのだが、どうも日本のドラマにはそれがないような気がしたのである。
だが、それがよくないことなのかは判らない。理解されなくても、説明を求められたときに、堂々と説明ができればそれでいいような気がする。が、きっと問題なのはそこで、自分も含めて、ってか自分だけかも知れないけど、外国人から「日本は○○だけど、どうしてなの?」と訊かれてそれを恥ずかしく思ったり、説明できずに「日本だから」とか思考停止そのものな答えを返しがちだ(わしは)。恥じることなんかないのにね。
  
この小説は、戦闘シーンの描写の凄まじさが特徴の筆頭なのだが、今回は丁寧に読みはしたけど、やはり自分にとってはあまり重要ではないと思った。それに、この話の中の日本人が憧れられる理由のひとつは「肉体的に強いこと」、つまり、もちろん訓練のたまものではあるけども、戦闘において圧倒的に優秀なことで、そこも自分としてはあまりピンと来なかった。肉体的強さにはほとんどと言ってほど興味がないし、そこに価値を見出すことに恐れがあるのだと思う。(非常に健全な知性がないと、肉体的強さは即暴力につながる、と思っているから。)
  
今日は仕事ないから書くよ〜(笑)。↑の、「日本は○○だけど、どうしてなの?と訊かれてそれを恥ずかしく思う」という話だが、それはやはり自分の文化的根底がどこにあるのか判らないからかも知れない。いや、自分が好きなものは誇ってるよ、でももっと根本的なところで、やはり文化的基盤がないような気がするのですよ、ってかやっぱりそれは「アメリカまみれになっている恥辱にまみれている」のではないか。とか思った。
だったら日本的な方向に、例えば日本古来の芸能だとか、そっち方面に目を向ければいい、という考えも世間にはあるのだろうが、別にそれは答えではないと思う。いや、そういう芸能を否定してるのではなくてさ。もっと、何かあるはずなんだよ、難解でなく、ユニバーサルな、文化基盤というのがね。
  
個人的には今でも続編の「ヒュウガ・ウィルス」の方が好きだけど、この「五分後の世界」も、最後に感動に似たショックが用意されていて、好きだな。いや、ほんとは「ショックに似た感動」と書くべきなのだろうが、自分としては、逆だった。主人公の決断はショックだった。しかしその決断は誇りにみちていて、清々しい。でも何か唐突に終るけどねw