現代社会でどれだけのtranquilityが得られるか

今日はほんとは8/17。
 
ええと、ほんとはついったからもmixiからも離れている理由を書かないといけないんだけど、またそのうち。
つかそれらネット上コミュニティばっかじゃなくてニュースも国内外とも一切チェックしてない。
(まあそれは西日本寄りだからできるぜいたくなことだというのは重々承知である。)
ほんと、自分が普段摂取する音楽やら本やらTVドラマやら、そして普段実際に顔を合せる、会社の人、両親、友人、そしてコミュニティ外で文章を書いている人たちの言葉、以外のものからすべて隔離された感じです。
それで何か自分の様子をみている、という感じ。
 
少し気づいた変化は、ネット上のコミュニティにいたころは、たとえばライヴの情報なんかはどこからか流れてくるものだったが、そこから一時離れてみて数週間、自分から情報を得にいかないとな、と思うようになってきたことです。
 
ってここまで書いたならついったやmixiから一時離れた理由を書くと、ってついったについては以前書いたので、何でmixiまで離れたかと言うと……ニュースから自分を隔離しているのと理由が少し似ています。
(だから、交流をはかりたいと思っているともだちたちと交流できない、というジレンマはある。しばらく、それをどうしようか考えていたけど、それもまたちょっとこのまま様子を見ることにした。ごめんなさい。)
 
ついったが特にそうだったけど、「情報」に気分や機嫌が大きく左右されるのに、疲れ切ってしまった……んだと思う。
左右されないくらい心鍛えろや! という意見もあろうが(ないか)、何かもう隔離したくなった、自分を。
でもそれは、ちょうど今の自分が、隔離できる状態にあるというのもあると思う。
 
と言うか、そういうフェーズなんだろうなと思う。
ただ、自分が自発的に書きたいことだけ書いて、ほとんどの対話を自分ひとりでおこなって、しかもひとり暮しだし、まあ会社や通勤はあるにせよ、自分が動揺してしまう事柄から、かなりの割合で自分を隔離できる、いいチャンスなんだよね。 
 
そうやって、自分が受け容れたくないものをどんどんシャットアウトするのは、よくない面もあると思うけど、でも今のわしには何だかそういうある種の人工的なtranquilityが必要な気がするのです。
 
必要ってか……mixiもひとへの返事をしない状態でいきなり遠ざかってしまったのでそういうことはずっと気になっている、でも、自分の、ただただ内側へ向う、という流れには抵抗できなかった、できない、という感じです。
 
何か長くなってきたので当初書こうと思ってたことはやめて、今日はこの件だけとします。
 
つか孤独になりたい、ってのとも違うんだよね。
人から連絡が来たら全然welcomeだし。
って
「また受身に徹底かこの子は!」
って感じに見えるのかも知れないが、うーん、それともまた今はちょっと違う。
ともかく今までにない感じなんです。
 
で、当然のことながら、これはあくまでも今のわしのスタンスであって、ネットのコミュニティ機能を否定するものではまったくないです。
また時期が来たら戻っていくのは確実なので。
 
何つか。
世界周遊の一人旅にでも出ていると思いねえ。
で、このブログが絵葉書がわりだと思いねえ。
って感じすかねwww
 
そのうちほんとに個人メールとか絵葉書とか送ったらすまんww>ともだちたち
しかもガチに外国からとかww
 
いかん、現実に戻って風呂に入ろう。