2009年4月その3

また気紛れに更新ストップすんだろうけど、歌詞対訳は別室を作りますた。
(それに伴いここ「はてな」での歌詞対訳エントリは削除しました。)

ねこだってたまには働く

更新告知はmixiではすると思う、いや、どうかな、判んないけど。
 
 
というわけで自分用日記抜粋シリーズ。
 
そういや、↓の日記を書く前の段階で、欧州までMACHINE HEAD(以下マシヘ)とティツィアーノ・フェッロ(以下Tzn)のコンサートを観に行くことに決めたのだったな。
 

邪魔になっている、ってか、見かけ、ってか、disguise(=見せかけ)としてあるのは、性別の問題だ。
 
その、見かけ上、あるいは社会的な性別要素は、常に障害であり続けた。
それは社会が女性を阻止する、ということでなしに、性別概念の前に、自分が止っていたということだ、相手が(見かけ上)男性である場合に。
絡めとられてたってか。
しかし、それは余分な要素なんだよな。
で、なぜいつもその障害に阻まれていたかと言えば、自分の性別認識がやはり社会通念と違うからだ。
男性に頼るべきである、仕える男性が必要である、みたいな、非常に強い刷り込みが。
いや、それが、外部からの刷り込みか実際自分が持っているものかどうかっていうことを見分ける必要性が、うん、今回は、ほんとにそのタイミングではないかと。
恐らく、自分のなかでもかなり乖離してて……性別認識が通常と違う、というところからくる、かなり自由でいいんじゃないか、というところと、非常に保守的な価値観と。
いや、価値観ってより、やっぱ自分の心の志向だよな。考えるべきはさ。
 
まあ、ただ、ともかく、Tznに関してはさ。
実質彼は「歌のお兄さん」であってさw
確かに彼は現状、世界各地で、いわゆる"hot"な男性のひとりなのだろうけれどもさ。
遠くから見てると、「いや、顔はいいけどさw」という、むしろ、「アレな人」ってののほうが特徴でありw
 
ってか、絶対に、ロブのときと同じく、私はTznを「探し当てた」のだと思う。
 
……って言うか、そうだよなあ、去年から、望んでいたのは、心の平定だった。
そうだった。Tznの歌はそれを実現する手段として現れた。
そうだ、今年の初め、ほんとに心が凪いでいて、「そうそう、こういう感じ」と思って、でもそれがその後ものすごい嵐に見舞われて。
そのときに降りてきたのが、Tznの歌だった。
そうだった。

ちょw まじでTznのことは男と思ってないみたいだw
彼個人は置いておいて、少なくともあの歌は、男のものだと認識してないみたい。
自分の深いところでは。完全に。
 
あと、彼個人の姿をつかもうとしたときに、こう、性別男性である人間である、ってところをすっと通り抜けて、その向うに実体があるって感触を得て。
ああ、そうだよ、それが彼にあの歌を歌わせるものなんじゃないのかなあ。
 
男性性を感じない、というのも、正しい。
かと言って女っぽいわけでもない。

結局、まあ(欧州遠征の準備が)首尾よくいっているというのもあるけど、もちついてるw
マシヘが絡んだことで、逆にボトムラインってのが見えて。
ってか、それはいつもマシヘに対して持っている気持ちでさ。
別に今回、めちゃ(ライヴで)会いたくて行くわけじゃない。
だって、行かなくても、ここに、もう、前から言ってるけど、彼らへの気持ちってのがここにあって、で、それは彼らとも、そして日本の仲間ともつながってて、それさえあれば、もう満足っていうさ。
それが去年の秋に得たものでさ。
だから、あえて行く必要はないんだ、それは、Wacken(註:2008年ドイツの、MACHINE HEADがヘッドライナーをつとめたメタルフェス)に行かないって決めたときにさんざん考えたことだよね。
でも、これも機会、ってか、これが流れならば、また自分のなかでつける整理とか(ファンやめるってことじゃねえよw)、あるいは、今回マシヘのライヴに遠方から訪れることで得る何かが、自分に必要なのだろうと。
そういうphase(=段階)なのだろうと。
 
遠方にマシヘのために行く意味……ってか、そう考えると、なぜNINE INCH NAILS(以下NIN)のほうを選ばなかったのか、ってか、前も書いたけど、NINを観てマシヘを観ないってのは絶対やだ、という気持ちね、そのでどころが判ってくるね。
NINではだめだった。
マシヘだからこそ、遠方に行くことで自分のなかで浮び上がってくる何かがある。

ってか、これは結局、年頭に願っていたことでもあったな。
マシヘのために何かやるってこと、そしてそれは去年の次のステップであるということ。
今のところ、現地で彼らとコンタクトする手だても可能性もないので特に、まあ、白紙にしてるけど、こないだも友達に言ったけど、必要であれば起る。
それは、去年の出来事が、私にとって必要だったように。
 
思えば、ロブに個人的に伝えたいことはもうない。
ま、あるとすれば「無事順調にやってるぜ」ってことくらい?
日本のファンとして、しか言うことがない。
かと言って、日本のファン代表、みたいなのは違うし。
ならば、完全に流れに任せようと思う。
伝えるべきことがあれば、それが現れてくるのを待とう。
 
つまりさ、個人的な事情で私とロブが接するって段階はもう終ったんだよ。
これからはファンにとって大切であるバンド、バンドにとって大切であるファン、この相互作用におけるコンタクトでさ。
いや、コンタクトするか判らんけどw
こんなに、バンド側からファン側から大切に思い合う、ってありかたのなかでさ。
彼らが、音楽を作り続けてよかったと、そして、うちらが、彼らをサポートし続けてよかったと、そう、それは去年の秋のような感動(註:2008年LOUD PARKのこと)だけど、ああいう実感がさ、これからもマシヘとファンのあいだには起っていくんだよ。
そのためにつどっているようなところもあるじゃないですか、マシヘの一員であるってことの、そして彼らのファンであるってことの、意味はそこにあるんじゃないかと。
意味ってか、何度か書いたけど、マシヘでなければ得られない心の動きってのがあって。
それが必要な人らが、マシヘ周辺につどっているんじゃないかと。