「タンブリング」一周年

日付的には明日なんですけど、曜日的には去年のこのタイミングの土曜に、ドラマ「タンブリング」と出会ったわけですよ。
去年のこの日の行動はなぜだかよく覚えているので、今日はわざわざ出かけて去年と同じところで買い物をして、同じところで食事をして、去年と同じように8時15分くらいに帰宅し、「タンブリング」、伝説の第四話の、去年自分が偶然観始めたところから観るという。
ということで、8時15分くらいに帰宅するために時間をつぶしたりすることもなく、ほんと、ちょうど食事して帰ると8時15分という。
相変らずこういうあんまり意味のないことには微妙に超人的な力を発揮しております。
 
そんなわけで、あほみたいですけどわしにとってはとても大切な儀式のようなものでしたので、今日これが達成できてとても充実しますた。
 
ま、伝説の第四話ですんで、とーぜん泣きながら観ていたわけだが、うむ、思い出すのう、去年、ほんと、テレビドラマや若い俳優なんて何も知らずにバカにして何年も観てなかったけど、当時は実家暮しでしたので、親が「タンブリング」の前の時間帯にやっていた「とびだせ科学くん」が好きで、で、その続きでTBSがかかっていたんですな。
 
去年の日記を読めば判るが1年前というのはほんとに暗黒でして、もう力尽きて倒れていて、でもその体勢で、気付いたら手のなかに「タンブリング」で得たものを握っていて、で、その後私は立ち上がることができたのであります。
 
ほんと、人生で重要になるものとはどこで出会うか予測つかないと言うか。
昨日ついったである人が言ってたんだけど、
「実利を求めてする行動は1しか得られないけど、無目的に何かをしたとき、それは3や100や1000になったりする」
って。
いやこれ、ほんと「タンブリング」も件もそうだったわ。
最初から「これを観れば救われる!」などと思って観始めたわけじゃないものね。
 
わしはイタリア語なんかも、ただ響きが好きというだけで始めて、実利的には、全然、スペイン語や中国語などとは比べもんにならんくらい無意味ですけど、この言語を学習している途中で出会ったイタリア人の歌手が自分にとてつもなく重要な存在になったり。
 
まあ、そんなものなのだろうな。
というわけで、無意味なことをする、というのは重要なのだろうなと、頭ではよく判っており、また、経験則に従ってもそうなのだけど、なかなか
「これやってどういう意味があるのかな」
と考え込んでしまうことをやめられないわしです。
 
 
おまけ。
ずうううっと留学をしたいと思っているが、「実利的」な、たとえばMBAだとか、そういうのにしないと無意味なんじゃないかと思ったり、でも、わしはほんとは比較言語学とかそういうのがやりたいわけで、でも、すぐに、そんなのやっても一銭にもならない、将来路頭に迷うだけやん、と思ってしまう。
でも、昨日ついったで↑に書いた言葉をもらったときに、ハラのなか、1ミリくらいは、度胸が据わったかも知れないなあ、比較言語学とか、無意味そうな学問をやろうかなあと。
それ以前から、無意味そうな学問をやるのって生きる態度としては間違っていないんじゃないだろうかと、また別の人が言ってたことを読んで考えたり、まあ、いちおうのろのろと進んではいる……のかな?
ペルージャ大学で比較言語学系の、まさにぴったりそうな学科があるのだけど、まあ、あるんだな、と思った、ということで、今のイタリア語レベルじゃ大学の講義受けるのは難しかろういやそれ以前に試験に受らないであろう。
 
というわけでまた長い日記を終ります。