2009年3月その3

自分用日記抜粋の続き。
 
ここで、ひとつ自分ひとりで問題を解決する方法を書いておきます。
(ひとの受け売りなのだが。)
 
その前に、心の大前提は、
「常に意識を集中しているものを引き寄せる」
という点です。
 
嫌いだ、と思っているタイプの人ほど寄ってくるとか、よく聞きませんか?
それは、
「こういうのは嫌いだ」
と、具体的に思い描いて、
「それが近寄ってこないように」
考えていると、実はそれはその嫌いなものに神経集中していることと同じなので、嫌いなはずなのに、それが寄ってきてしまうのです。
 
で、あなたが何か問題を解決したい、と思ってるとしませう。
でも、なかなか解決しない。
そういうとき、心が何をやっているかと言うと、
「ほんとはその問題が解決したら困る」
ことに集中してるのです。
だから問題が解決しないのね。
 
どういうことかと言うと、これって前書いたと思うが、ダイエットが成功しない、ってやつ。
 
こういうとき、
「ダイエットが成功したら何が困るか?」
と考えます。
そうすっと、例えば、
「やせても恋人ができなかったら太ってることを言い訳にできなくなる」
とか
「やせて異性が寄ってきたらほんとは困る」
とか、意外な答えが出てきます。
これが、あなたの「ほんとの」本音で、この本音に実は神経集中しているので、表面で「解決したい」と思っている問題が解決しないのですな。
 
以下は実際に↑みたいなことをやった日記。
途中からもんのすごくディープな考察に変っちゃってるけどw
 
あと、たまに「日本」というキーワードが出てきて、否定的だったりもするが、このころの私はまだばりばり「保守」だったんだよね、でも、
「自分自身のありかたは日本には合わない」
と感じてもいたって感じですな。
まあ、いろいろと複雑な気持ちがずっとあった(今もある)のだね。
 
2009年3月途中まで

なぜこんなにも外に出たくないのか考えてみる。
強制的じゃないと、出れない。
仕事とか、人と待ち合わせてるとか。
1回出たら、問題ない。
その後続きでどっか行っちゃおうぜ、となれるんだが。
出るまでが。
 
てか、外出だけでなく、おぼろげに「やろう♪」と思ったことの、最終的な打消し具合もすごいよね。
ってことで、いつもの……
解決したい問題は、
「出不精を直す」。
いや、ってより、
「思いついた通り、とか、思い描いた通りに行動したい」
かな、でも、その段になると「マンドクセ」になって、やらない。
 
これが解決すると困る点は、うん、何か、on the moveになるのがいやなんだよなあ。
特に、外出に関しては、家で何もやっていないのに遊んではいけない、という罪悪感がある。
(中略)
これってけっこう、一番でかい夢とも直結してないか?
一番でかいとこの、夢を叶えたら困るから、動かないことにしてるんだよ。
 
(中略)
 
どうやら、まだ「信じて」いないらしい。
何を目標にするのであっても……いや、やっぱ、今思い描いてることは、分不相応だと思ってるんだよね? 能力はあるのに発揮できなくてうだうだ死んでいくのがやはり自分には相応しいと。
それが本音か?
実力発揮したら困る、ってより、発揮したくないんだよ、結局はさ。
 
ってか、実力あっても発揮できない、って見本しか見てないってのが現実だからさ。
自己実現してる人の輝かしさとか、実は見たことないんだよ、うちの家系のDNAに刻まれている決定事項は、「実力があっても発揮できなくてそれを恨みに思って死んでいく」ということだ。
そうだ、そうなんだな?
自分もその続きであるならば、このまま、「ほんとはすごいんだけどね」と言いながら、やりたいことにも自分でストッパーかけてやらないままで、もちろん子供も持たないし、幸せな未来なんてあるわけないし。
ってのが……この家系の決定事項、なんだな? そうなんだな? だから私はそれを忠実に辿ろうとしてるだけなんだ。
そういう決定事項、あるいは自分以外の全員がそういう恨みを抱えながら生きてきている一族の皆さんに、うん、本音は申し訳ない、んだけど、軽蔑もしていて、やっぱり、うん、属している感覚はないよ、親がいなくなったら親戚とも疎遠になる気満々だからさ。
 
ってか、属してないんだよ、親戚への、(あるいは本音を言うと両親への)ここまでの乖離感ってのは、普通じゃないんじゃないかと。
ってか、帰属感で言ったら、ひろげると、日本にもないよ、帰属意識は。
合わないことしかないから。
前何かで、合わないからこそ日本に生まれて、そっから何か学ぶ運命である、というようなことを書いてた人がいたけど、たぶん私もそうなんだと思う。
 
その違和感……違和感なのか、結局一族は足かせなんですよ、でも、その足かせは、恐らく幻想なんだ、だって、「属さない」というのは、あっちから見ても判ると思うよ。
昨今はその弊害に基本的に視点が向いてて……ってか、やっぱ、うん、自分が縛られていたいのだろう、親が、とか、血が、とか、日本社会が、とか、言っていたいのだろう。
 
言っていれば……もちろん自分が責任取らなくていい、ということなのだが、成功してはいけない、ってのはあるのか?
私ががんばると周囲を傷つける、というのは、これはもう、確実にある。
 
もし、何の足かせもなければ、何やるかと言うと……非常に精神の安定が保てるところで、ただ、自分が得られる可能性のあるすべての知識とともに、時間を過ごしたいなあ。そこに人がいるかは、判らない。
ってか、私は絶対自分のやりたいことしかやれないんだよ。
嘘ついてると、(自分で)けっこうすぐ判るんだ。
 
私は、知識と、精神の安定がほしいんだ。
同じレベルで。同じ重要性で。
それらへの探究心は、たぶん、うん、血縁には理解できないだろう。
 
「だめでいればいい」という時代は、終ったわけだが。
復讐で、だめでいた、というのはほんとに真実だと思うのだが。
終らせて、いいか?
たぶん、もう言い訳ができないんだよ、
「親が○○だからだめでいたいんです」
というのは、もうできないんだ。
「だめなのは自分がだめだからなんです」
と常に言わなければいけないんだ、これからも、だめでいたいなら。
って別に自分を脅迫したいわけじゃないけどさw
だめでいる、のを選んでいるのは、自分だ。果てなく、自分だ。
これまでだって、ほんとは自分だった。理由が復讐だろうが、それを選んでいたのは自分だし。
そしてまた、「親が」とか「過去が」というのも、ほんとは幻想なわけでさ。
 
これから、だめでいたくば、それが常に自分の責任のもとにやっていることだ、と自覚すべきだ。
 
ってかさ、うん、もう、完全に「違う」んだということを、骨の髄まで、判ってもらうべきだ、親に。
ある意味、諦めてもらうべきだ、親に。
違うものを、同じところに押し込めててもしょうがないわけで。
これまで、私自身に「違う」という自覚がなかったから、これまでの、やりたいことに邁進しない、という現実を作り上げていたし、また、周囲も、私が自覚してないわけだから、そこまでの「違う」感も……いや、あっただろうw
 
結局、自己像の認識違いが、ひとつの大きな理由だったと思う、これまでの、おかしな流れの。
 
……もう1回「地球(テラ)へ」を読んでみるかなあ。
 
あと、私ががんばると周囲を悲しませるという……いや、それも言い訳でしょ?
ほんとはがんばりたくないんでしょ? 自分で責任取りたくないからさ。
何か、「こういうことにしとこう」みたいなのがずっとあったんだと思うんだよね。
自分はだめなことにしとこう、親が足かせってことにしとこう、がんばると周囲が嫉妬するからやめとことう、みたいな。
しかし、それらずべてに「No」が言えるのだとしたら……そこでやっとこれまでと全く違う地平線に立てるんじゃないかと。
「こういうことにしとく」と、都合がよかった。
ああ、努力しなくていいし。
「だめなのは私のせいではないので。私はかわいそうなだけなので」と言ってられるので。
うん、努力しなくていいなあ、このままだったら。
勉強しようと思ってしなくて、で、なぜやらなかったのか自分を責めるときに、セットで、「だって親が」とか言ってられるわけだ。
 
(中略)
 
ってことで、言語関係では今の路線で続ける。
さらなる縁を待つ。
そして、精神面では、
「だめでいるならそれは自分がだめでいたいからだ」
と強く自覚することだ。
そっから先しか、新しい地平はなく。