2009年1月

超長いので分けて読んでいただければ。
 
ちょっと、袋小路に入っておる友達のことなど思って、ジャンル関係なく、自分用日記から抜粋することにした。
で、それを「抜粋」いうカテゴリにします。
その友達だけでなく、誰に対しても、なんかのヒントになれば。
 
OUTRAGE関係の文章ももう書いてあるのだが、何だかupするタイミングがつかめないのでまだ眠らせておく。
 
で、自分用日記からの抜粋ってのはほんの一時期をやってたけど、仕切り直しで今回また始めます、続くかはやっぱり判らん。
 
でも考えてみると、自分にできるのはこれしかないような気がする。
同じようなことで何度も何度も何度も悩んできてそのたびにいろいろ書いておったが、自分が、人が吐露した痛みや苦しみや悲しみをヒントに歩いてきたように、自分も、今までこのブログで書いたよりもさらに生々しいものであるが、外に出そうかな、と思った。
 
自分を癒す方法、というのはいろいろあって、具体的な方法など、書けないわけではありませんが、それはとりあえず置いておいて、自分の古典的方法として、自分が書いてきたものをまず外に出してみようと。
 
ってわけで、無意味なものもあれば答えになるものもあればヒントになるものもあるだろう。
てけとーに、まじ抜粋って感じで、持ってくる。
 
人名もちらほら出てくるし、あるいは、いきなり「彼」とか出てくるがw、あまり説明しない。
誰やねん、って感じだがw、それも抜粋ならではの良さだぬw
説明は必要なときはする。
人名は、場合によってはちょっとイニシャルでぼかしますw
 
あと、そうだな、私の苦しみのひとつというのは男性に生れたかった、ということで、そういうことに絡む文章がたぶんちらほら出てくる。
ちょっと、特徴的な部分なのでこの件だけ最初に具体的ことわっておく。

 
2009年1月

正しさとか、(特に日本独特の)道義など、どうでもいいじゃないか。

空白からは何も読み取らないし、何も投入しない。

ロブは唯一私の内側に「生きてもらってる」他者であり、もちろんこのロブは、ロブの仮面を取れば私自身なのだが、今はまだロブの顔、声、でいい。

あなたほどの重責は背負えないだろうが、でも、私が立ち上がるとき、その力の、かなりの部分は、あなたから吹き込まれたもの、あなたから受け継いだものであることは間違いない。
それがあなたの使命であり。
私は、私たちは、それをしっかり受け取ってる。
何と輝かしいかな、生きている者同士が離れていても支えあおうとする心は。

今さら言うか? って感じだが、Sさんはネガってより繊細なんだよ。
けっこう、ほかの人より、「え、そんなことでへこむの?」という事例が多くて、そのネガさが彼の成功をブロックしている、、、なんて思ってたのだが、違うな、彼は非常に得たいものがあって、しかもそれをけっこう小さなことからでも得ようという姿勢と言うか願望があって、だからそれがくじかれるととてもへこむんだと思う。
そして、そういう繊細な自分を、幼少のころからけっこう必死に守ってきたと思われるふしがある。

希望として、平穏のなかで奏でられる音楽というのがあり、その理想はNINE INCH NAILSの”The Frail”みたいな音楽なんだ。

ロブは、嵐のなか、何を信じていたのだろう。
たぶんそれは私が信じていたのと同じものだ。
どこにも確証がなかったのだけれども。
ゴールをなぜか設定していた。

 
んで、わしはたまに小説を書くが、それ用に作ったキャラクターの考察をするという方法で自分の問題を解決することがあります。
以下、たまにそういうやつ。
だから「彼」とか「E」とか「Y」ってのは自分が作ったキャラクターであることもある、実在する人のこともある、まあ、ぼかしておくw

彼が他者に触れさせない彼自身は、強いと思う。
そう、ここで「強さ」だ。
ここなんだな、彼の強さの理由は。
 
ところで、またひとつ自分とEの違いに気づいたが……私にとって周囲との融和って実は大事で。
(だからそれが実現しないと憤る。しまた、実現しないのがいやだから最初から人と関わらないようにするのだ。)
それはたぶん平穏につながるからだと思うのだが。
でもEってそういうの興味ないんだよな〜。
(中略)
彼の強さについての考察はもうちょっと先かな。
たぶん今の私には判らない。
 
つか、彼がすべてにおいて、めんどくせーんだよ、と言ってそれで終り、なのはそのことに彼が興味ないからでしょ。
ってか重要じゃないからでしょ。
――逆に考えるか。
じゃあ何が重要なのか、から。
ぱっと思いつくのは生存証明。
(中略)
でもそれより大事なのは自分で自分を生き直す(?)ことだ。
ってか、自分で自分の本当の親になるということだ。
だからYの父親になるのは重要なのだし。

小説に閉じ込めるのはやはり「思い」なのだろう。
しかも、何にも変質させられることのない。
だから私は小説を書きたくなるのかも知れない。
思いの保存場所として。
でも、だから、やっぱり私の小説は外には向いて(開いて)いない。
 
(中略)
 
結局、やっぱり生きるために書いてるんだと思う。
使命だとか運命だとか才能だとか、これまで寄りかかってたすべての拠所をnullify(=ゼロに)したうえで、結局そう思う。
日常の瑣末な、そしてやはりくだらない戦いは、やっぱり書いて昇華するためにあるのだし。
……っていう姿勢は、うん、Sさんから学んだ気がする。
彼は直接そうは書いてないけど、彼の日常における戦いと音楽の関係が何なのかは、彼の書くものを読み続けていればよく判る。

戦う、というのは私自身の最近のテーマでもあるわけだけどね。

私にとってSさんが判りやすいのは、彼が心を語る語彙を持っているからだ。

休むことの重要性をここに強調したい。

さっきBUCK-TICKのスコア見に行ってからおかしいのだが。
腹を絞るような悲しさが…何だこりゃ?
それでいて頭は全く悲しがってない。
全くの平静だ。
今もしB-Tをライブで観るようなことがあればマジ泣きしそうなんだが?
多分、他のこと関係なく純粋にB-Tに対する…何か例えば母親にわがまま言いたいような、(かと言ってこの「母親」は私自身の親でなく全くのコンセプトの上での意味なんだが)B-Tだけが聞いてくれる、といったような…。
(中略)
うん、判った、(B-Tのファンをやってきた)19年間の、まるごとの是認だ。
完全な、是認だ。

そうだ、今まで全く自覚してなかったんだけど、私はSさんのギターの音に、必死に言葉を聞き取ろうとしてた。(つか前のバンドの音は特に。)
音そのものが彼だという感じではなく、ともかく、「言葉」に訳そうとしてたのだ、ってか、不思議と、私は言葉でしか彼が理解できない――それは彼の音楽が私にとっては時に難解すぎたからなんだが。
 
ってか、結局、言葉に訳さないと自分のなかに落としこめなかった、なぜなら、私自身が最終的にアウトプットするのは言葉で描写される世界なので、Sさんの音楽の時点で言葉に訳しておこうと思っていたのだと思う。私の(言葉の)世界に持ってくる前に。
(中略)
私は結局、すべて言葉に訳してるんだよ、こうやって日記書くのもはてな書くのも、そしてもちろん小説書くのも、自分に感知できるものを言葉に訳してるだけなんだ。
 
元来、とても厳密に言うと、音楽をやる人を言葉で描写することはできない。音楽をやる人はその人本人が自身の感知したものを音楽に訳して表現してるわけで、その生き様も――結局は音楽でしか表現できない。
それがまさにその人の選んだ方法だからだ。
 
私はそうとう余計なことをしてきていたのかも知れない、私は、色々なものをSさんから受け取って、で、それらをやっぱり私に判りやすい「コンセプト」に落としこんで、で言葉で表現してきてたんだけど、それは、うん、彼にとってはおおいなる不要物だよ。
 
マシリトというバンドの)印藤さんの言ってた「憧れ」が交錯してる。
音楽と言葉というところでまず交錯してる。
これまでずっと、自分のありかたの否定の上にある憧れの扱いのことだけを、それではいけないとか、変容させようとか、そういうことだけ考えてたのだが、それとは別に、まず、音楽と言葉という交錯だ。
 
これはある意味迷い込んだ場所ではあるのだが。
自分のこれまでを否定したい気はまったくない。
私の「憧れ」は……絶対に実現しないんだ、なぜなら、Sさんはミュージシャン、だからだ。ものかきじゃない。
 
彼は明らかに書くことが好きだしこないだも書いたけど自分の心を言葉で的確に表現する回路をきちんと持っている人なのだが、私はそれにずっと惑わされてたし、拘泥していた。
私自身が言葉の人間だから。
通じるのは言葉しかなかった。
しかし、彼の本質は、絶対的に、音楽だ。
私にとって彼の文章は「表現」だけど、きっと彼としてはあれは「説明」なのだと思う。「表現」はあくまでも音楽のほうのみで。
 
それに、まったく気づいていなかった。
私はずっと別のところを見ていた。
いや、だからこそ判ったもの、受け取れたもの、いっぱいあるけれども、おそらく……彼をミュージシャンとして見る以上のリスペクトはないと思う、彼にとって。
それは、今まで頭では判ってたけど、根底では判ってなかった、私は、ほんとに、彼を「ミュージシャンとして」リクペクトすべきだ。
私にとっての男のありかたの基準とか、それはそれだ、それは私が私のなかだけであたためてりゃいい、しかし、彼との接点は、ただひとつ、「彼がミュージシャンであること」、あるいは「ギタリストであること」という事実を通してしかない。
 
まあ確かに彼のギターが雄弁すぎるのも事実なんだけどね。
 
でも、これは……彼のギターに言葉を聞き取ろうというのは、私なりの方法だった、彼を判ろうとする。
 
(中略)
 
それはもがきでもあったし苦しみでもあったし、ってか、書く姿そのものがもがきであり苦しみであったときもあったし、今でも、そしてこれからもそういう姿は時に在るのだと思う、しかし、結局すべてが――これは何年か前も必死になって言ってた、「すべて書くことに帰結する」。
これの実感を、リピートしてる。
しかも前よりもすべての輪郭がはっきりしているうえで。
 
これは、「すべては書くことに帰結する」というのは、私が勝ち取った生きる証だ。
もう、才能なんてどうでもいいんだよ、使命もどうだっていいんだよ、それらよりも、「自分が選んだ」ということのほうが一億倍重要なんだ。
私は人が何を言おうが書くんだよ。
結局ここに戻ってくるんだよ。
そしてそれは……きっとSさんが音楽に賭けたものと同じなのだと思う。
私はやっと音楽をやるという業を持つ人の一部が理解できたのかも知れない。
ってか、「業」さえも、自分で選ぶんだよ、人は。

「(誰であろうが)幸せ(になるということ)」に拘泥しているのは私だ。
しかし、それは、人がこの世に生れてきて、最低限受け取れるものを受け取ってほしいということからきてるんだよ。
だから私はロブに盛大に幸せになってほしいんだ、過去が過去だから。
このレベルならば、Sさんに対して同じことを思ってる。
彼の子ども時代は知らないけど、当然得るべき幸せを手に入れてほしい。
これは、内面がやけるような痛みを抱え続ける魂のことが判るから……彼の苦しみはもう背負わない、背負わないけど、ほんとに、早く鎮まってほしいんだ、あの魂に。

自分のなかに書くことへの要求がある。
それだけだ。

彼らは他人であって他人でなく、それはふたりが元々ひとつのものだったからだ。
ふたりだけの自己完結はほかでは絶対起きない、この完全性はすべてのものに勝る、私の求めた、安定がここにある。