結局第四話から〜ユング

カテゴリに「タンブリング」を加えた。
過去の関連記事もおいおいカテゴリ変えないと。
 
今日は野暮用ができてフルに時間取れなかったんで、結局第四話から観た。
 
感想の前に、今朝どうしても腹が立ってきたので(長年の蓄積)、自分としては暴言と思えることをついったで書いたが、特におおごとにはならなかったもよう。
つうか〜(亮介ふうに)、どーせ女がまたくだらねえことほざいてるっつうか〜、そんなふうにしか思われなかったんじゃねえのお?
 
 
だからもう私は「タンブリング」とある意味心中するつもりでいる。
あほでしょ?
何でこうなるかは男には一生判らねえよ。
私はいわゆる腐女子の傾向は皆無(むしろ理解できない)だが、しかし、「ゲイが清廉である」という感覚はある。
女を性的な目で見ない、性の道具にしようとしない、ということは、たぶん通常の女の人生では得られない安らぎの証なのだ。
判らんでしょw?
 
心中、の話だが、「タンブリング」と、って面もあるが……いや、私の一生的には、木山と心中させてもらうわ。
全国5千万人の木山ファン、ごめんw!
 
いや、つーか、もう、「世界」でいいっしょ。
私のなかの男女抗争が沸点に来てて、その状況で自分的には爆発してみたけど誰にも相手にされなくて(女性は反応してくれるが)、結局男性側には自分ら側の事情も何も申し開きする気がねえんだなと判ったタイミングで、「タンブリング」ボックスセットが出る。
これはまさに「世界」の宣言っしょ。
 
「フィクションの世界に入る」というのは、自分の世界の再構築でもある。
航も亮介も火野くんも水沢くんも木山も金子くんもさとしも日暮里も竹中くんも柏木先生も現実にはいないが、私の心にはいる。
現時点で、男女認識構築が完全に失敗した人間の、ある種のリハビリとして、彼らと精神世界では共存する。
 
リハビリ?
ってことは現実に返り咲くつもりがあるのかねw?
 
 
実はひとつ足がかりがある。
今日、ついったはもうやめようと思って、mixiも、半分やめようと思って、でもmixiでしか交流してない、でも、今後素敵な友達になれそうな予感のある人がひとりだけいるので、その人の外部ブログをこっそり見に行って、ひとつの概念を知った。
(私は心の話をよくするけれど心理学の本は一度も読んだことがない。)
ユングのアニマとアニムスという概念だ。
私の男女認識構築の破綻は、このへんにカギがあるんじゃ?
ネットでちらっと調べたところでは、思い当ることがけっこうあった。
(つか、多分誰でもある。どの段階にいるか、だけだ。違いは。)
さっそく、日本のユング心理学の大家らすい、河合隼雄氏の本を借りてきた。
 
つか、さっきも書いたが、私のなかの男女抗争は沸点に来てる。
今日暴言をたたきつけた相手(複数)は、普段ならば
「私の知ってる男性はまともだが」
とかならず申し開きをしてきた人たちだった。
(誰からも反応なかったのはほんとに悲しかった。でもまあ色んな意味で、同じレベルや土俵では話せないから、しょうがないとも思う。つかいろいろ考えてると、男性は一体私の文章なんか読んで得るものがあるのか? と判らなくなってくる。)
思うことがあっても言わずに来て、まあでもそれは別に彼らが悪いわけでもないし、と思ってきたけど、自分の沸点は、無視できなかった。
これ、今までなら抑えつけてきた沸点だった。
 
これまで何度かカウンセリングやセッションを受けて、興味深かったのは、そのうち何度かは、
「男性が嫌いでしかたない」
という内容で受けに行った。
しかし、その全部の回で、結局
「女性が嫌い」
という本音が出てきて、そう、私のほんとの男女認識構築の破綻は、
「女性を蔑視していて自分をとことん嫌っている」
というのがほんとの姿なのだ。
(って前も書いたかも。)
 
ってのを、たまに自覚するのに、カウンセリングに行くと、あるいは、普段から、
「男性のこういうところがいやだ、何でこんなふうなんだ、だから女が苦しむんだ」
という思考にすりかわってしまう。
 
しかし今、ひとつ違うのは、思考のすりかわりがないということで。
次カウンセリングを受けるときは、ちゃんと、
「女性を軽蔑しています。だから自分自身も嫌いなんです」
と言える。
 
だからこその沸点で。
 
 
タンブリング」の話。
さとしを背負ってあげてる木山見て、泣いた。
でもあんな男(いや、人間、でもいい)、実在しないだろう。
 
私が木山と心中すると言ってるのは、完全に精神的な意味で(当たり前だw)、私が生きたくて生きられなかった世界で、自分の弱さをカッコつけにすりかえて懸命に生きてる木山が、あまりに痛々しく、そして、美しいからだ。
 
私は自分の弱さは肯定できないが、他人のなかにあるのなら肯定できる。
彼の弱さは紛れもなく美しい。
弱いからこそ生きる価値がある。
弱いからこそ他人の美しさに気づける。
 
木山を演っている大東俊介が、素では木山と全然違うタイプと知ったとき、私は安堵した。
木山は実在していては困る。
多くの人が、自分を投影できる存在でなくては困る。
 
 
タンブリング」は、若い人にももちろん推奨図書ならぬ推奨ドラマだが、あるていど人生を長く歩んだ人はまた、違う感じ方ができる作品だと思う。
セリフの意味や、登場人物の行動の意味や表情が物語ることが、たぶん若い人よりも多く理解でき、また、共感できる。
どんなドラマでもそうかも知れないけどね。
 
 
って言ってるうちに「タンブリング」の舞台は来週かあ……。
 
今日、最後に。
タンブリング」は……まあいいや。
もういい加減みなさん私の「人に心が開けない」系のうじうじは聞き飽きただろうし。
タンブリング」の世界にこもります。
航に亮介に火野くんに水沢くんに木山に金子くんにさとしに日暮里に竹中くんに柏木先生になって、リハビリしてくる。