器がでかい論〜普通と特殊、普通とダメ〜博愛?

6/22ごろに書いてうpしてなかった記事。
また長大ですんでてけとーに分けて読んでん。
あと、下記はあくまでも私の例だす。
 
 
先日の記事「空が白む」は、むしろ反感を覚えた人もいるかもすぃれない。
「辛いことが起るのは器がでかい証拠」
とかさ。
 
これは勢いで書いた(つか大東俊介に対してどうしてもこう言いたかった)ってのもあるが、実を言うと、ずっと悩みポイントだった点でもある。
 
今の会社でもそうだけど、自分をして、
「……ずれている」
と思うことが非常に多い。
学生時代も、何らかの集団に入っていた、と思ったのに、気づいたらハブられている、とか。
 
ま、これは、確かに私はイタイ人だった、と言うかイタイ人だから、しょうがないとも思う。
空気も読めない、と言うか、世間で了解されている暗黙コードのいくつかが、どうしても察知できないし、そもそも必要性が理解できない。
 
で、私はこの自分のイタさがどうしてもいやだったので、ずっと、「イタくない人たち」、つまり、私のなかの定義では「普通」の人たちに、仲間に入れてもらいたくてしょうがなかった。
 
「普通」の人たちは、さっき言った、世間の暗黙の了解をよく承知していて、そこから外れることはまずないし、非常に「うまい」人たちでもある。
 
で、そういう人たち(まあたぶん世間の大半?)が仲良くやっているのが羨ましかったので、一緒に仲良くなろうとするんだけど、どうしても私は彼らからすると「ゑっ」と思うことばかり言うから結局外される。
そうすると、私はすねて、
「ふ、普通の人たちなんてつまんないだけなんだからね! 私は音楽とか文章とか、いっぱい打ち込めるもんあるもんね! おまえらにはそういうのないだろ、バーヤ、バーヤ!」
となって、自分の「特殊さ」を慰めたくて、「普通」を見下すにいたった。
 
という図式が判っていたので、「普通」と「特殊」について考えて、自分がどうしても「普通」のレベルに達することができない、という現実を、ちょっと色眼鏡で見ていたわけですね。
「自分は人と違う」と自分を誇ろうとしていたと。
しかしそうなると「それって選民思想じゃね?」とも思うし、こんな感じで、数年悩んでいたのだ。(←すごくバカ)
 
こんなようなことの、感極まった辛さを吐露したのが4月のはじめで、ここでも日記を書いたのでみなさんにいろんな言葉をいただいた。
そして、そのとき受け取ったメッセのひとつで、「普通」について、世間的に「うまく」渡っていくというのは、つまり、自分がない、ということだとよく判った。
(さらに、最近「考えることをアウトソーシングする」という表現に出会い、これと、私の思ってきた「普通」はほぼ同義だと悟る。まあアウトソーシングについては、アウトソーシングすべき種類のものもあるので、ここで言う「考えること」は、自分のありかたや人生について考える、と限定したひが。)
 
確かにこの点では、「普通」は哀れである。
が、同時に、これも否定できないんだよね、私は彼らができることができない、ということがね。
 
というのを痛感するのが、仕事の場。
特に5月によく思ってた。
事務的な処理で、必ずミスをする。
技術系の翻訳は事務的な面も大きいので、必ず何かやらかしている。
何つーか、一般的な、「こういう手順でいけば失敗しない」という様式に、どうしても適応できないのである。
あと、数字が致命的に判らない。
これは数字が得意な人は普通、という意味でなく、私は脳のなかで数字に関して決定的に抜け落ちているところがあり、何つーかほんとに、何か、「欠けて」いるのである。
 
5月になって↑で挫折を感じる前も、↑のような、自分の頭脳のある種の欠陥については判っていた。
しかし、「普通」に受け容れてもらいたくて必死で、しかし受け容れてもらえないのですねて「普通なんて」と見下していた。
のだが、5月の時点で、ほとんど敗北感とともに、認めた、
「私は残念ながら普通のレベルにも達していない」
と。
 
これについて外部ブログでぼやいだときにもメッセをいただき、非常に示唆に富んだ内容で、自分を是認するのにとても役立った。
のだけれども、結局、私は「違う」のであって、一般より優れているのでなく、ただ、性質が違うのだし、また、私が「普通」と呼んできた人たちも、結局は、私と「違う」だけなのであって、そこに、色んな心のからくりで、上下関係をつけていたのは私自身だった。
(とは言え周囲にはバカにされ続けてきたとは思う。彼らもまた私を見下していたと思うが私も彼らを見下していた。)
 
上下関係を絡めると、最初に書いた、選民思想みたいな話になって、どうしてもそこがひっかかってずっと考えていたのだけれども、この1月ほどですっきり解消した。
下記にすっきりしたときの個人用日記を引用する。
 

こう、全体的に、「できない」と言うか、うまくない、と言うか。
不器用?
うむ、ま、そういう形容もあるだろう……(中略)。
 
ってかさあ、結局のところ、私は「ダメなヤツ」なんだよ。
才能とか成功とか、そういうの関係なしに、「ダメ」なんだw
「うまい」人たちの集団からすれば、落伍者なわけよw
もうこれは決定的なわけよw
能力とかじゃなくてさ。
いや、能力がだめでもいいよ。
実質それが「特殊性」であったとしても、「普通」の基準からしたら、私は「ダメ」なわけw
 
ってか、「普通でない」は、つまり、「ダメ」ってことでよくね?
今までずっと、この特殊性を、「普通には判るまい」と普通を見下す態度をセットで考えてたわけ。
しかし、違うね。
こっちこそ、「ダメ」なんだよw
いや、実質はただ「違う」ということなんだが。
しかし、自分の、「普通」の集団からの落伍っぷりからして、これは明らかに「ダメ」ということだろうとw
だから私は「違う」方向に進むんだ。
 
ああ、これで、こだわり続けた、もういつからこだわってたか忘れたけど、平凡と特殊の認定について、決着がついた。
安心しろ、私は「特殊」だ、だがそれは、イコールすごいってことではなくて、むしろ「ダメ」だってことだw
って出発点に立てば、ずっと気にしていた「選民思想」問題も問題ではなくなるだろ。
いや、選ばれてはいるんだけどね、「ダメ」ってグループにw

……といったような経緯ののちに「器がでかい」という言葉が出てくるのだが、けっこうやけくそののちに出てきた表現だと思いませんかw?
ど、どうせ普通にはなれないもんねっ! ……orz
というw
(繰り返すがこれはあくまでも私の例である。)
 
 
ちなみに、そもそもなぜここまでやれ普通だとか普通じゃないとかにこだわったかと言うと、結局は、これもお友達に言われてはっきり判ったのよ。
私は人間全体が好きなのだw
ずっと、自分は人間嫌いだ、対人恐怖症だ、と思っていたけど、逆なんだよね。
好きだから、みんなに仲良くしてもらいたかったり、よく思ってほしかったんだよね。
 
ってなこともあって、最近、ひょっとすると探しても探しても見つからない答えってのは、疑問の出発点を逆転させると、案外すぐ見つかるのかも、と思い始めている。