Tiziano Ferro/Mia Nonna

諸事情あって川崎のOUTRAGEは行かないことにしたのでそれに関するメールや連絡はしないでいただけるとありがたいです、悪しからず。
とか言って川崎にはいますが、それはまだOUTRAGEに行くと無邪気に思っていたころライヴ前に人と会う約束をし、その人にはどうしても会いたいので行くのであって夕方には帰る。
とか言ってチッタにいたらそっとしておいてください。
しばらく完全に「何やってんだこいつ?」な方向に進みますが、まあ、そういう時期なのでしょうがない。
 
しかしもちろんマシヘのころに会った人たち愛してる。
 
あ、あと、OUTRAGEがどーのってんじゃないんです。
ライヴ行くテンションじゃないってか、何と言いますか。
 
川崎てか関東行くときに平常運転に戻すメンテはしてきますが、どうなるかな。
男性のカウンセラ(てか今回はセラピスト)は初めてだよ。
(今まで避けてたから。)
今回はNLPは関係してるらしいけど基本的に言葉のみのやりとりらすい。
 
あと思ったんだけど、ひとりっこってのが私が全部自分のなかに溜めてしまう原因だな。
兄弟がいたら家族の恥部を共有して愚痴ったり協力できたりできるけど、それが皆無だから。
(ひとりっこにとって親というのは身内ってより最初の「そつなく接していかなければならない」他者だな。てか、「自分がだめな子供になったら彼らの希望をすべて奪う」という重責を一手に引き受けているのがひとりっこで、よくひとりっこは独善的とか言われるようだが、ぴんとこない。そうなのかも知れないが、ひとりっこは激しくわがままになるか一切自分を表現しなくなるとか「完全に」嘘の人格を作っちゃうか、どっちかかも知れん。もちろんわしは後者(後者のなかでも表現しなくなるタイプ)だったので正直に言おう、死にそうだ。あんまり兄弟ほしいと思ったことはないが、最近ひとりっこであることに実はかなりダメージくらってきたんだなと判った。)
 
(こないだ母親から聞いたのだが、私は中学にあがるまでほんとに食べない子供だったらしい。幼少のころに食べることに非常に難があった(まず、口自体、開かないw そして食べ物を口に入れても決して飲み込まない、など)のは知ってたが、小学校のあいだもずっとだったというのは知らなかった、と言うか記憶になかった。全力で生きること拒否系だな。しかも積極的に死のうとしない、消極的な手法での生きること拒否系だった、と。何かすごく納得できるよ。)
 
(しかし、最近またまた実感したんだけど、まだ私は不幸でいたくて被害者でいたいらしいんだ。被害者、というのは特定の出来事における被害者、という意味でなく、どういうシチュエーションでも、責任取らなくていいように、被害者でいることを選んでるんだよな。)
 
(ちょっと前に、自分が肯定されるとか愛されるということがまるで理解できないと書いたが、あれとよく似たところにあること、あるいは、むしろあれの原因は、「自分がこうしたいからする」という基準に完全に根ざした行動をしたことがなかったことにある気がしてきた。そしてもちろんそれは自分の行動に責任を取りたくないので被害者ぶっているからだ。ひとつひとつの行動の選択(例えば笑うとか、ほんとに小さなひとつひとつの選択)の基準が常に他者になっていて、でもそれは私がそれを強制される哀れな存在だからではなくて、「自分で」他者を基準に自分の行動を決めているのだ。)
 
(それはもちろん、そうしておけば何かあったとき責任を取らなくていいからだ。「だって○○さんがこうしたから私はこうしたもん!」と常に言い訳をしていればよい、自分のなかで。)
 
(これのヒントになったのは、mixiである人が書いていた、「自分に嘘をつく・つかない」という話だった。「昨日と今日で正反対のことを言うこともあるが、そのときどきの自分には決して嘘をつかない人がいる」という話だったが、これは、大きなヒントだった。私はどうも時系列での整合性を重視してしまうので、「昨日と今日で正反対の考え」というのは、間違ったことだと思っていたのである。が、この話を読んで、あ、そうか、「そのときの」自分には嘘をついていないというのが、(たとえ時系列で意見が自分のなかで矛盾したことになったとしても、)ほんとの「自分に嘘をつかない」ことなんだと、やっと判った。)
 
(だから誰かに対して昨日は笑顔、今日は無視、これは別にありえるし、それはただ「そのときの」気持ちに従ったまでである。そしてまた、もし作り笑いをするなどのことをするとして、これまで私はこれは「完全に」やらされていることで、「だってこうしない相手が怒るもん」みたいな基準でしか「作り笑い」の選択ができなかった。しかし、↑に根ざすならば、作り笑いすることさえも、「自分がそうしたいと思うなら」、別にいいのだ。これまでなら、「なに、作り笑い? 嘘の代表格じゃないか」ってがちがちの感覚だったんだが、「作り笑いをする選択をする、自分で」という行動もあり得るんだなと。)
 
寝る。