今彼がどのあたりにいるかは定かではないのですが、何となく耳に感じるところによれば七合あたり、しかしそれは登りなのか下りなのか、そのあたりが判然としない、それでも恐らくそのあたりだろうと感じるのであります。
 
なかなか体が動かせませんので、今日も、明日も、だいたいは同じポジションで、しかし、五感は動いていて、我々とは違うところでようすをうかがっているのでしょう。
 
生きているとか意識があるとかいう状態にあると、どうしても動かざるを得ません。
それは、ただそう決っているのであって、あまり感情や正義とは関係ないのです。
我々は、なるべく彼と同じ山を歩こうとしているのですが、生きているとか意識があるとかいう状態では見えないところにその山はあって、むしろ五里霧中になっているのは我々のほうである。
 
しかし、こだまなら響くだろうと、こだまなら届くだろうと、そう、だから我々は音楽に託すのでしょう、我々は、そして彼らは見えぬ山に向って叫び、彼の返答がこだましてくるのを待った。
 
いや、これから待つのです。
最後の勝ちを、じりじりと待つのです。
彼が再び声を発するのを待つのです。
彼が再び音を作るのを待つのです。
 
必ずきたるその日まで。
音楽にすべてを託すのです、その音が、霧に響かんことを、彼の第一の耳に届かんことを。
 
DEFTONES新作発表に寄せて)