(・∀・)その2(追記あり)

昨日の続きですが、「かつてないほど調子いい!」ってのはこれまで何回か書いてて、そのたびにちょっとあとに暗黒期が来て、しかも落ち込んでるときほどここで吠えるので、ちょっと、「かつてないほど調子いい!」に「狼少年」テイストを感じている人もいるかも知れない。
 
けれど、「かつてないほど調子いい!」ってのはそのときそのときで嘘や誇張ではなく、

(゚∀゚)

(´;ω;`)

(゚∀゚)(゚∀゚)

(´;ω;`)

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

という感じなのだ。
「(゚∀゚)」期が来るたびに、必ず前期の「(゚∀゚)」期を上回る心の世界がひらけ、毎回、え、こんなラクな生きかたってあるの? とびっくりする。
 
私は前から、どこかに行くとき、特に、何度か通っているところとか、あるいは逆に数年ぶりに来たとか、ともかく「前回来たことがある」という場所に行くと、前に来たときの自分を思い出して、あのころは何て生きにくかったんだろう、とか、あのころはいつも悲しかった、とか、過去と今を比べ、着実な進歩をいちいち実感することにしている。
 
この「前よりよくなっていることをいちいち実感」だけど、前は年単位スパンだったのが、月単位スパンになって、最近
「先週もすごく調子よかったのに今週はそれを上回ってるwww」
とか、スパンが短くなってきてるw
 
つか、調子いい、ってか、ともかく平和なんだよ。
もちろん苦手な人もいるしやりたくないこともあるし腹も立てるし、おおそうだ、今朝久々に満員電車に乗ったんだが、リアルに心が削り取られていくのを感じた、それとか、人間が近くにいる、というのがいまだに結局苦手で、会社の会議なんかも、なるべく人との距離を取ったり、取れなかったときは、「ああ、近くに人間がいるのがだめなんだ」と、そう感じる自分をただ是認したり、そんな感じだ。
(昔だと、「近くに人間が来ると避けてしまう自分はだめだ、避けてることに気づかれたら嫌われる、嫌われたらどうしよう」と延々とぐるぐるしていた。)
 
寝る。
 

追記
 
さっき、
「あ〜、前だったらここで『どうせ私は誰にも気にかけられない』といちいち心をどす黒くしてたなあ」
というシチュエーションがあったが、結局ほんと、前は、
「『どうせ私は誰にも気にかけられない』と感じることを選んでいた」
のだなあ、と思った。
 
ただ、そう思っちゃう期間(?)というのは、それはそれでいいと思うんだよね。
結局、「そう思っちゃう」というのは、「そう思いたい」ということだと思うのです。
自覚はできなくても、自分の意識のどこかのレベルが、
「そう思いたいもん!」
と言っているということなので。
 
前も書いたが、ほんとの感情というのはなかなか人間感じられないらすい。
で、その感情は、表層的な意識に「あ、そう思ってたんだ」と認識してもらえるまで、ひつこく存在を主張してくるらすい。
 
でも、厄介なのは、その感情が表層に表れる時点では、その感情さんのほんとの姿ではなくて、別の感情、よくあるのは怒りとかそこはかとない落ち込みとか、そういうものに化けてしまうので、
「いくら怒りを感じきってみても何も変らない」
という状態が続くということ。
だからまあそこで専門家の手を借りる、というのが一番手っ取り早いわけだが。
 
同じこと(特にネガな気持ち)を何度も感じてしまう、というときは、潜在意識から、
「この気持ちを手がかりにほんとの感情に気づいてください」
という信号が出ているということなので、一番いいのは、たとえば、そのとき感じているのが「ひつこい落ち込み」だったら、
「何でこんなに落ち込むのか?」
を、徹底的に考えてみることです。
 
ちなみに、「ほんとの感情」というのは、往々にして「ささいなこと」が多い、とものの本、ならぬ、もののブログには書いてあった。
「子供のころ兄弟に無視されて悲しかった」
とか、
「アイスクリームを食べたいときに食べられなかった」
とか、ものすごく、まあ言ってしまえばくだらないことです。
 
でも、子供のとき、↑のような気持ちになったときに、例えば、
「兄ちゃんに無視されたことをお母さんに言ってみたが『そんなことで泣くな』と怒られた」
という体験があとに続くとすると、
「悲しいと思ってはいけないんだ」
と思い込んで、「悲しい」という感情を感じないようにしてしまいます。
あるいは、
「アイスクリームが食べられなかった次の日に、『昨日アイスクリームが食べたかったのに』とお母さんに訴えたら『何で昨日言わないの!』と怒られた」
という体験があとに続くと、
「自分の希望はかなえられないし、勇気を出して希望を言っても、怒られるだけなんだ」
と思い込んで、ほんとの希望をなかなか言えない人間になってしまいます。
 
(とは言え、このへんは個人差がものすごくあって、例えば、アイスクリームの例であれば、「昨日言えって言われても言えなかったんだからしょうがないじゃん!」と対抗できる子もいる。あるいは、「あ、食べたいときに言うのが一番いいんだな」と学習して次につなげる子もいる。だから、思うに、傷つきやすい人は結局「仕様」なので、そういう自分に、ものすごく暖かく手を自ら差し伸べることを、怠ってはいけないと思う。まあ私はそう思える自尊心のほうも破壊されていたのでものすごおおおく時間がかかりましたが。)
 
専門家の手を借りる、というのは、↑のような、子供のころの体験を記憶のなかから引っ張り出してきてそのときのほんとの感情を感じる、とか、別の感情に書き換える、ということなのですが、私が思うに、これは自分だけの力で、できないことはないです。
 
簡単に書いてしまえば、何か感情を感じたときに、
「なぜそれを感じるのか?」
を徹底的に考える、というのが、方法です。
考える、でなくても、連想する、とかでもいいです。
私はこれをやるときに、ロブ・フリンをはじめとした他者との対話形式にした。
私はそのほうが圧倒的に答えがわらわら出てきました。
 
ほんとに眠くなってきたので寝る。