1年半前くらいの習作

たがが外れたようですw
小説は書いても書いても人にほとんど見せませんでしたが、たがが外れた。
1年半前くらいに書いた習作。
暇なときにでもどーぞ。

 
 ここから出ようという結論が、アレックスの中でおだやかに姿を現した。
 妻が去ってから三年間、こだわるように住み続けた家なのに、引っ越すんだ、という一言は、周囲が唖然とするほどあっさりした口調で放たれた。
 唖然としたのち、異議あり、と手を挙げる者はなかったが、いや、もともと、他人が異議を唱えるような種類の決断ではないが、
「彼女の物はどうするの」
 と、限りなく遠まわしな異議を唱える者はあった。
 アレックスの姉、テレサは、二十代で妻を亡くした弟を折に触れて訪れた。三年が経った今でも、テレサにとって、弟を訪れるという行為には、特別な意味があるらしい。
 が、弟の側にとっては、姉の訪問はいつからか、姉が自分の家に来たという、文字通りの意味におさまっていた。
 今日の姉の訪問に、アレックスはいつも通りコーヒーを淹れ、リビングルーム、ふたりで腰をおろした。
 彼が「この家を売ろうかと」と言うと、テレサは両手にカップとソーサーを持ったまま弟を見つめた。
 そして、そうなのね、と呟いてから、
「彼女の物はどうするの」
 彼女の物、という言葉がカバーする範囲の広さにつまずき、アレックスが答えあぐねている間に、テレサカップを口に持っていき、そしてローテーブルに戻した。
「日記や写真以外は、誰かに譲るか売るか……」
「残ったら?」
 アレックスは、ソーサーに載っているスプーンを手に取りカップの上まで持っていった。が、結局それをソーサーに戻して、
「持っていけるだけは持っていくけど」
『けど』のあとを続けず、コーヒーを飲む。
 あと数日でクリスマスだ。そのあとさらに数日すると、アレックスはひとつ年をとる。
 が、それでも、若すぎた。時を凍らせたまま年を重ねるには。
 テレサカップにミルクをつぎ足している。アレックスは姉の手の動きを視界の端に置きながら、一口飲んではコーヒーの水面を見つめる、を繰り返していた。そうするあいだ、一度もカップをソーサーに休ませることなく。
 姉は彼の答えに満足しなかったのか、具体的に質問をしだした。
 家具は、服は、アクセサリーは、本は、ビデオは、どうするのか、不動産屋はどこにするのか、ここからどこに移るのか。
 確かに、ここから出るに伴っては、数々処理すべき事柄はある。
 アレックスは、質問にひとつひとつ答えるうち、姉はここを売ることに反対しているわけではないと判ってきた。ただ、心配しているのだ。実務的なことを、どう処理していくのか。
 それもそうだろう。三年という時間で、ほとんど手をつけてこなかったのだ。それは、仕事のせいで年の半分近く家を空けなければならない忙しさのせいだったが、本当の理由は、そうではなかった。
 そう気づいたとき、ここを出る、という決断が姿を現した。
 それは、彼の中で浮遊し続けていた澱が完全に沈みきったのち、上澄みに不意に現れたひとひらの葉のように見えた。
 その葉の青さに一瞬息をのみ、心の中で目を転じると、ひとつの決断の先に、あらゆる可能性が顔を出しているのが見えた。
「別の州に移るかも知れない」
 アレックスは言って、すでに飲み干していたカップをテーブルに戻した。
 姉は彼の顔を見たまま、動きを数秒止めた。
 ふたりのあいだには、まるで時差があるようだった。姉さん、あれ、そっちはまだ寝てる時間だっけ、俺のほうはもう陽がのぼり始めてるよ。
「急になんで?」
「急? 急でもないだろ」
 ひとが変わったとでも言いたげなテレサの目に、アレックスは否定の言葉を返したが、微妙なニュアンスを説明しきれないだけだった。変わったわけではない、時が動きだしただけだ。
 納得しきれない顔で「そう?」と呟く姉から、視線を移した。
 自分の正面、庭に通じる大きな窓にかかるレースカーテンが、揺れている。すべてが静止画のように感じていたこの家でも、あらゆるものが息づき始めたようだった。
 外は、陽が落ちてきていた。カリフォルニアの空気は夜に向けて温もりを失う。アレックスは、半袖からのびた腕に、風を感じた。
 テレサも窓のほうに顔を向ける。アレックスは閉めようかと言って立ち上がった。
 窓の前まで行って、レースカーテンを手前に少し持ち上げる。もう片方の手をサッシにかけると、姉の声が聞こえた。
「ほんとに売るの?」
 サッシから反射的に少し離れた手を戻し、窓を閉めた。
 外気が遮断されると、家の中の空気が突然実体を伴ったように彼を包む。その空気を自ら振り切るように歩を出すと、彼の中、一瞬止まろうとした時も、歩みを進めた。
 姉を振り返り、ああ売るよ、と軽く答えてからカップを指さす。
「もう一杯淹れようか?」
 答えを待たず、リビング隣のキッチンに向かった。
 ふたつのカップを満たし、ソファに戻る。
 かつて妻が選んだカップ、妻が選んだスプーン、手が触れるたび、心が軋む。
 それでももう、底に溜まった澱がかき回されて浮かび上がってくることはなかった。
「ああ、売るよ」
 再び言って、アレックスはカップに口をつけた。
 

↑を書いたころは何篇か短い習作を書いていたのだが、これが一番赤面ものだと思っていた。
が、読み返してみたら、これが一番そのまま出せる状態になってたw
 
ちなみに、習作って、何を練習したかったかと言うと、感情を表す単語を使わないこと。
あと、もひとつちなみに、主人公は生れてから↑の年まで人生の設定を全部決めたキャラクターだったが、そういや今日は彼の誕生日でした。
すごくどうでもいいですね。
ああ、腹減った。
でも寝なきゃ。