くそ真面目はばからしい

(未来エントリ)
 
コメあざーっす! おかげで元気出ました。
ついったでもこういった件に関して声かけてくれるかたがいるけど、何でもいいから多分声をかけてもらえればたぶんそれで嬉しいんです。
 
ゆうべイタリア語レッスンの先生(日本人)と生徒さんと話してて、自分がいかにくそ真面目か判って、笑ってしまった。
どういう状況下であれやるべきことをやるべきかたちでやってた、ってのは最終的に何物にもかえがたい信用を構築するはするけど、相手が必ずしもこっちの気合に答えてくれるわけでもなし。
だったら相手のいい加減さに合せてこっちもいい加減にやるのもアリなんだろう。
(もちろん仕事の内容と質は下げませんが、attitude面ではそっちがそんなにこっちなめるならこっちのそのつもりだから、というような。)
 
なんかくそ真面目に生きるのはバカらしいなあ。
あ、いや、これは自分の、非常に自罰的な、自分の余裕を自分で決して許さないような、生きかたに関して。
 
私信みたいになるけど、ずうううっと返事をしようと思ってしてなかったけど、トレコさん、そうなんだよ、日常の小さいことで幸せになったり満足するのはほんとに大事だと思う。
頭ではめちゃめちゃよく判っている。
 
昔から目上の人によく
「もっと肩の力抜けばいいのに」
と言われてて、自分がくそ真面目なのは判ってたけど、今イチよく何でそうアドバイスされるのか判らなかったけど。
が、そうなんだよな、自分が自分に対してリラックスすることを全く許してないから「もうやだ!」となってる部分が謀反を起してやるべきことをやらなくなったり盛大に仕事サボったり何かやろうと思うと気が重くなったりするんだろう。
(この1年くらいでそうとう改善されはしましたが。)
 
ちょっと今から人にたまっていた文句を言います。
そっちに誠意がないならこっちもそんな感じでいきますから、と。
んでそのあとは温泉。