負けるということ

つくづく、「負ける」というのは、表面上はどういうかたちの負けであれ、すべて突き詰めるとつまり「自分に負ける」ということだと思う。
60や70になって、ただテレビに悪態つくくらいしかストレスの発散法がないような、そういうジジババにはなりたくないな、おい。
それがどんな困難な戦いであれ、自分のなかの何かに負けたことの象徴のような、惨めな姿だ。
しかもまた、テレビは何も受け止めてくれないし、返してくれないし、こちらの望むように現実を変えてくれるわけじゃないし、ああ虚しい。
 
もちろん、現実を変える戦いを、日常をこなしながら行うってのは容易なことではない。
でもやるしかないんだよなあ。
負けられない頑固者に生れたからには。
 
今日になって、やっと、岡本太郎が言っていたという、
「マイナスに賭ける」
という言葉の広い意味が判ってきた。
ラクな道は選ばない、ということでもあるし、また、困難から逃げない、ということでもあるし、また、困難だからこそそれに取り組むことで何かを勝ち取る、ということでもある。
これまでほんっと逃げばっかで生きてきたので、最終的に自分に誇りを持つという自分への優しさのために、自分を律しなくてはと。
ただし楽しい方法でw