戦え

今年の冬にBARBEE BOYSのライヴに行ったとき、ボーカルのひとり、KontaがMCで、
「この世には二種類の人間がいる。それは、今日このライヴに来た人間と、来なかった人間だ」
と茶化しながら芝居がかった口調で言っていたけど、この
「この世には二種類の人間がいる」
はよく聞くセリフだよね。
 
個人的には、
「この世には二種類の人間がいる」
とすれば、それは、究極的には、
「戦おうとした人間と、戦おうとしなかった人間だ」
だなと考えている。ここ数日。
 
人間、一生問題や弱さはついてまわるし、誰しもがどういうレベルであれ戦っている。
ってのはほんとだろうか?
前者はほんとだけれど、後者は、どうだろう。
 
「戦う姿勢」って、想像するとカッコよくて、特に男性は好きだと思うし、まあ男性でなくても、「自分は戦っている!」という実感って、生活において感じられると何か自分がちょっとした人間になれたような、そんな気がするよね。
 
しかし、実際の戦いの現場って、楽しいことひとつもありゃしねえし、戦ってる姿は別にカッコよくない。
基本的に常に劣勢だし。
ほんとの戦いってそのくらい厳しいし。
戦いにおいては、自分の弱いところ、醜いところなど、直視したくないところを「絶対に」直視しなければならない。
だから自分のカッコ悪さやダメさ加減をひしひしと実感することになり、「カッコイイ戦い」という理想とはほど遠い現実に、「や〜めた」となる。
 
「カッコイイ戦い」というのは、眉間に皺寄せて苦悩したり、世間はバカだがそれに比べて俺はこんなことで悩んでてすげえなと思えたり、そんな感じ?
しかし、実際、「自分ってこんなに悩んでて重要人物」と思ってるところの、どこがカッコイイんだ。
 
戦うってのは、「不可能に打ち克つ」みたいな感じだけれど、人間の前に一番最初にたちはだかる「不可能」は、さっきも書いたが、「自分のなかにある直視したくないところを直視する」ことだと思う。
 
ここをスキップして、いきなり世間的な戦いとかに突入したがる人が実に多い。
「カッコイイ」からね。
 
でも、人間をふたつに分けるのは、「自分のなかにある直視したくないところを直視する」戦いにまず挑んだかどうかだ。
おそらく、ほとんどの人は、戦う前に敗北している。
いや、戦うことが必要だということを教えられることさえない。
そして、実に多くの人が、「不幸でいたがり」症候群で、不幸だから自分には価値がある、という心の罠にはまっている。
 
不幸はカッコよくないよ。
究極的にな。
なぜなら、白旗の象徴だからだ。
不幸を幸福に変えるという戦いに、最初から挑んでいない証拠だからだ。
 
残酷なことを言っているようだが、例えば、いや、例えるのはリスキーなので例えないが、絵に描いたような不幸な生れや境遇ってのがあってだな。
「そんな人にも『不幸は白旗の象徴だ』と言えるのか!」
と責められても、私は言うよ。
不幸は白旗の象徴だ。
設定が、過去が、不幸であればあるほど、戦いは長くなる、しかし、長くなるからこそ、と言うか、戦いは長ければ長いほどいい。
その長い戦いを勝利で終えたら、どれだけの幸福が待ってると思う?
 
そう、戦いは、実に長い。
途中で、何やってるのか判らなくなる。
負けたんだ、と勝手に呆然とすることもある。
完全な闇になる時期もあるし、自分の価値なんて信じられないし、いったいどこに、自分がこの戦いに勝てるであろう勝算があるんだと、常に思う、世間は何も証明してくれないし、むしろさらなる不幸の種をまきやがるし、おい、俺にどうしろってんだ、戦うなんぞ、実にバカらしい。
やめだ。
 
やめろやめろ。
勝算がないからって諦めるなら、はい、今すぐやめていいよ。
 
勝算なんてねえよ。
どこにも。
他人はもちろんそんなもの渡してくれないし、自分のなかを見ても、はい、ぞろぞろと、直視したくないものがわいてきて、うわ、こんな俺が勝てるわけねえな。
いったい何やろうとしてたんだ、戦おうなんて、俺ごときが。
俺ごときが。
 
しかし、「俺ごときが」ですよ。
俺ごときが、勝算がまったくないのに戦おうとするという、その無謀さこそが、あなたの渇望する勝算の種なんだよ!
 
勝つと判ってる戦いに挑むのもたまには楽しいけれど、しかし、私はひとの無謀さを愛でる、どこにも保証がないのに、踏み出してしまったという、だから私はバカが好きなのだ。
 
「不幸だから幸福だ」というのは真理だと思う。
不幸がないと幸福になれない。
最初から幸福なら、生れた意味も、生きている意味もない。
 
そう、もうはっきり言うぜ。
私は勝った。
不幸を幸福に変える戦いに。
長かった、実に長かった、人生の半分ほど過ぎてしまったかも知れないが、後悔はかけらもない。
勝ったんだよ!!!!
 
だからもう私はひとのためだけに自分の能力を使う、私はもう不幸ではないから、私から、何をどれだけ持っていってもらっても構わない、何も揺るがない、そして、最後は、私が他人に渡すことのできる最上のものを、必ず一番愛する人に渡す。
これから何年かかっても。
 
全力に全力を返すってのはそういうことだ。
 
(最後の一文の意味は判らなくて構いません。)