ティツィアーノ・フェッロに関して本記事

今日は、私的に最近ヘヴィロテになってるティツィアーノ・フェッロ@イタリアの誕生日らすい。
ヘヴィロテどころか2週間ほど聴いていた音楽の9割はこの人だった。
 
2/14に彼に関して2度目の記事を書いたけど、そのとき「かつて体重が111キロだったらすい」という話で思い切り彼を茶化してしまったのだが、その後反省したのでそのこともついでに書いておく。
 
「111 Centoundici」(ちぇんとうんでぃち)というアルバムを私はひつこく聴き続けているのだが、2/14にも書いたけど、この「111」という数字は彼の最高体重、らすい。
 
で、私はそれを茶化す記事を書いたのだが、その後、タイトルトラックの"Centoundici"という曲のPVを思い出して、あれは過食症や拒食症についてっぽかったなと。(何せ歌詞はあまり判りませんから。)
で、ひょっとすると彼自身そういう理由で太っていたのではないか、と思ってWikiを調べたら、少年のころ、おとなしい性格でクラスで無視されたりして、多食症だった、で、体重が111キロにまでなったらすい、と書いてあった。
Wiki@イタリア語でも「らしい」となっていて断定はされていない。)
 
 
それにしても、自分にとってやっぱ音楽は一番でかいファクターだなと思う。
けど、このティツィアーノ・フェッロの場合、この声でなくてもイタリア語でなくてもここまではまらなかったと思う。
2/14にも書いたように、かなりこう、おなかがねじれるような辛さのなかでこの人の音楽と声ばっか聴いてて。
何かこう、おなかの辛い感じをごそっとまるごとどっかに持ってってくれて、そこで辛い感じを癒して私の体に戻してくれるような、そういう癒しだったかな〜。
いや、「だった」じゃなくて今でもそうだ。
ここ数日は辛い感じはあまりないし、別のバンドを聴いたりライヴに行ったり友達とおしゃべりしたりしてるけど、でも根底の私は彼の音楽と声に、ほんとにまさに磁石に吸いつけられるようにぴったり離れないでいて、ほんと、ここまでの感覚は珍しいな。特に最近知ったばっかのアーティストだし。
今持ってるこの感覚とか彼の音楽と声に何を感じているのかとかは、ほんと説明が難しい。
 
まあ、外国語はそのまま私にとって未来である、というのも理由だとは思うんだけどさ。
 
ともかく、またちらっと紹介しまつ。
最初はこないだも貼ったけど、"Centoundici"。
この人のジャンルはいちおうPops+R&Bになってるけど、これはデジタル的でもありカッコヨス。

 
次、"Perverso"(ぺるゔぇるそ)。
PVに「X」がシンボルのように出てきて、私は最初映画の「アメリカン・ヒストリーX」を思い出し、何か人種問題と関係あるんか? と思ったが、そうでなく。
この"Perverso"は"Xverso"とも表記されるんだけど、つまり"per"を"X"と書くわけだけど、これは、「かける」の意味の「×」をイタリア語で"per"と読むからだそうだ。
だからPV中の「X」は題名から来てる。
んだけど歌詞の単語をいろいろ調べたりPVの雰囲気からすると、他の意味もありそう。(せくすぃ〜な。)
ところでフェッロって人はすごいカッコイイのだがなぜか「がんばってるんだね」と感じる微笑ましさがある。
年下(7歳下)だからなのかな。
いや、やっぱ「あったか〜い目のつもり」で見守りたくなる何かがあると思われる!

 
次、"Sere Nere"(せれ・ねれ)。
欧州で大ヒットしたらしいバラード。
意味は"Black nights"だから「暗くて寂しい夜が続く」というような感じかね。
おお、この「続く」はいいな。
日本語は名詞の単複を区別しないから、例えば英語の、「sがついてるだけでひとつじゃないって判るんだお」というのをどうやって訳出しようか歌詞対訳でいつも悩んでいたんだよね。
「いくつかの」とか数量的な日本語を使うとをいかにも「英語を直しますた!」という感じになるし、自然な表現を探していたんだよ。
ちょっと頭にメモっておこう。
それはともかく、これは素直に名曲だと思う。

 
これら3曲が今とっても好きな曲。
でわおやすみなさい。