PULLING TEETH新作を聴いて

今日は何かすげえ日だった。
今から書くこと以外にも大きく気づいたことがあって、それはまた後日。
 
 
PULLING TEETHの新作、「Thrash Cats Crisis」を早速買ってきますた。
私、前作がだめだったんです。
しかし、今回、これはw
特にしょっぱなと、そして2〜3曲めの流れがw
びっくりするよw
「ちょw かっけ〜!」と騒いでましたよ、ひとりでw
もう、何だ、炸裂だと思う。
私は彼らの音楽を語る語彙を持たない。
このアルバムを聴いてはっきりそう判ったけど、それは落胆ではなく、清清しい認識だ。
 
 
それはそうと、まあ今さら、だけど白状すると、私はプリングのスズキさんにそうとう影響を受けている。
文体の面で。
何かもう人にどう思われてもいいや、と思って、書く。
 
ともかく、そうなんですよ、まあここ数年は年に数回思い出す、という感じで、プリングのサイトも見てなかったですけど、最近また熱心に読んでて、はっきり言おう、私はスズキさんの文章が大好きだ。
で、今日新作を聴いて、いきなりあることに気づいて。
さっき自分用の日記に怒涛のごとく書いたので、転載。
 

確かにスズキさんのギターは圧倒的に雄弁なんだが、そうだ、今まで全く自覚してなかったんだけど、私はスズキさんのギターの音に、必死に言葉を聞き取ろうとしてた。(GRUBBYは特に。)
音そのものが彼だという感じではなく、ともかく、「言葉」に訳そうとしてたのだ、ってか、不思議と、私は言葉でしか彼が理解できない――それは彼の音楽が私にとっては時に難解すぎたからなんだが。
 
ってか、結局、言葉に訳さないと自分のなかに落としこめなかった、なぜなら、私自身が最終的にアウトプットするのは言葉で描写される世界なので、スズキさんが作った音楽を聴いた時点で言葉に訳しておこうと思っていたのだと思う。私の(言葉の)世界に持ってくる前に。
(中略)
うーん、私にとって、スズキさんはあくまでも「コンセプト」なのかも知れない、「ああいう人」という。
私は結局、すべて言葉に訳してるんだよ、こうやって日記書くのもブログ書くのも、そしてもちろん小説書くのも、自分に感知できるものを言葉に訳してるだけなんだ。
 
元来、とても厳密に言うと、音楽をやる人を言葉で描写することはできない。
音楽をやる人はその人本人が自身の感知したものを音楽に訳して表現してるわけで、その生き様も――結局は音楽でしか表現できない。
それがまさにその人の選んだ方法だからだ。
 
私はそうとう余計なことをしてきていたのかも知れない。
私は、スズキさんから色々な影響を受けて、で、それらをやっぱり私に判りやすい「コンセプト」に落としこんで、で言葉で表現してきてたんだけど、それは、うん、彼にとってはおおいなる不要物だよ。
(彼が私のやっていることを感知しないにしても。)
 
「憧れ」が交錯してる。
音楽と言葉というところでまず交錯してる。
(中略)
 
これはある意味迷い込んだ場所ではあるのだが。
自分のこれまでを否定したい気はまったくない。
私の「憧れ」は……絶対に実現しないんだ、なぜなら、スズキさんはミュージシャン、だからだ。ものかきじゃない。
 
彼は明らかに書くことが好きだし自分の心を言葉で的確に表現する回路を持っている人なのだが、私はそれにずっと惑わされてたし、拘泥していた。
私自身が言葉の人間だから。
通じるのは言葉しかなかった。
しかし、彼の本質は、絶対的に、音楽だ。
私にとって彼の文章は「表現」に見えるけど、きっと彼としてはあれは「説明」なのだと思う。「表現」はあくまでも音楽のほうのみで。
 
それに、まったく気づいていなかった。
私はずっと別のところを見ていた。
いや、だからこそ判ったもの、受け取れたもの、いっぱいあるけれども、おそらく……彼をミュージシャンとして見る以上のリスペクトはないと思う、彼にとって。
それは、今まで頭では判ってたけど、根底では判ってなかった、私は、ほんとに、彼を「ミュージシャン、あるいはギタリストとして」リクペクトすべきだ。

 
ああ、何かもう、ほんとに怖いものはない気がするな。
スズキさんに関して本音を白状しちゃった今となっては。
ってか、相手が日本人だと書きにくいんですよ、本人には伝わらなくても、周囲に伝わったりするから。
まあでも、これはある意味、新作が本音を白状させた、と。
そういうことなんではないでしょうか!
それがどういう意味かってのは、新作が雄弁に語る。
そういうことだろ?