体は構造でしかない

今日も書き散らし。
(のつもりだったら途中でテーマが出来たのでタイトル変えた。)
 
いや〜、今日も諸事情で体調悪い可能性高かったし、夜もあまり眠れなかったので、休んでみた。
でも、これから月に1日は有給を取るつもりでいたから、まあそれを今日に充てる、ということで。
 
でもうだうだせずに普通に起きたがイタリア語勉強してても頭ふらふらするし、いっちょ寝てやろう、と昼間に3時間くらい寝てやった。
そしたら、見事鮮やかに頭の重いのもめまいも消えていますた!
ビバ俺!
これからは、いきなり睡眠時間を減らすなどせずに徐々に、そしてまた……ああ、でも、今日から体調よくなったのは周期的な理由だ……(´・ω・`)
ああ、またそういうことか(´・ω・`)
 
そうなんだよな〜、今朝も休もうか考えながら同時に考えていたんだけど、体はただの構造だろう、と。
ってか、自分にとって女性性とは体の構造でしかないだろう、と。
構造になぜここまで振り回されるのかを考えていた。
構造が体を構成する物質を周期的に決定するので振り回されるのだが、しかし、体と精神の切れ目は別のところにあるのではないかと。
構造がホルモンバランスを変化させ、ホルモンバランスが精神を変化させるのだが、これらのリンクはあくまでも物質的なもの、つまり構造とその延長でしかないと考える。
しかし私がほんとに精神と認識するもの、それはここからは心と呼びたいけれども、それは必ず体、つまり構造と対等でなくてはいけないと考える。
ホルモンバランスのせいで機嫌が悪くなったり、またホルモンバランスのせいで体調が悪化しそれで気がふさいでも、しかし心はその支配下でいる必要はない。
 
そのへんがテーマなような気がする。
女性性から自由になりたくば。
女性性のなかで生きるのであれば構造と心は対等でなくてもいい、心は構造に従属すればいいのであるが、私はそれを望まないので。
 
あ、でも、このテーマは男性にも当てはまるよ。
男性も構造に心が従属するという問題を抱えているよ。
(性欲の点でね。)
やはり、構造(とその延長)と心のあいだにはちゃんと切れ目があると思うし、まあ価値観はそれぞれにしても、浮気するかしないか、風俗に行くか行かないかは、この構造と心の切れ目にカギがある。
 
構造に支配されるのは簡単だと思う。
ってか、私は支配され続けてきた。
けれど、何かそれではつまらないので、心と構造を対等にすることをこれからのテーマにする。
 
うーむ、画面見てるとやっぱめまいの芽が出てくるな。
 
ってことで、今日もこのへんで〜。