言葉に恋する

先日日本及び日本語好きなアメリカ人と知り合ったのだが、同じ言語オタク志向でありながら、自分と彼らの大きな違いに気づいた。
彼らは、日本が、そして日本語が、好きなんすよ。
「好き」だからやっている。
日本及び日本語と出会って、マーティー・フリードマンさんじゃないけど、「恋に落ちる」瞬間があったはずだ。
でも、私は、ただ英語が「得意」なだけ……ではない、好きは好きだけれど、もし別の外国語に出会う機会がいっぱいあったら、別の言語をチョイスしていたかも知れない。
 
前も書いたか忘れたけど、言語を勉強して、習得しようと思うと、その言語に恋をしないと難しい。
だから、私は恋の対象として見られる言語を探している最中なのだが、、、今のところないなあ。
イタリア語は好きだけれど、自分が話すとなると、違う。聞いてるだけならかなり好きだが。
すえーでん語は私が見てきたなかでは一番英語に近く、文法もややこしくなさげだが、「英語に近いので習得が易しそうだ」という理由になるし、まあ響きは好きなんだけど、全体としてみると微妙なところだ。
アラビア語は……ああアラビア語にはしびれたことがあった、前書いたか忘れたけど、「迷子の警察音楽隊」というエジプト/イスラエルの映画を観たとき、一節だけアラビア語の詩を引用する、というシーンがあって、その響きは神がかっていた。
けれど、アラビア語の「あ」の音があまり好きじゃない。名古屋弁的な、ひしゃげた「あ」に聞こえる。
 
いかん、話が長くなってきた。
ともかく、言語の恋人募集中、ってか探し中。ってところで。