明るい話はありません2

私はひょっとすると、生きてきただけですごいと思ってもいいんじゃないだろうか?
(勇気のある人は11/17付けのコメントを参照)
いや、私なんかよりもっと壮絶な人はいっぱいいるだろうけど、と、しかし、こうやって、「私なんかが人生辛かったと言ってはいけない」という抑圧も私も抑圧のなかでかなり大きなものであり、また、日本における、「耐えてなんぼ」的思想にも影響されているのか、「辛い=えらい」という価値観も私のなかにあり、「私はえらくないので辛かったはずがない」という思い込みもある。
 
こないだうちの好調からこの振り戻しw、と驚いている人もいるかも知れないが、こうやって人間は問題点を洗い出していくのではないかと思う。
 
一番の親友の石塚(仮名)に、何度か、↑のコメントで書いたようなことを打ち明けようかと思ったが、彼女はうちの親とけっこう近しいために、万が一を考えると、話せない。
けれど、話したら、どう言うかは判る、「あんたこれまでよう普通に生きてきたね」と、これまでの私の不幸をすべて洗い流す一言をまず言うだろう。
石塚よ、両親が死んだら話す。必ず話す。
 
私の暗闇系と性別呪詛系のエントリにコメントで向き合ってくださった方々に感謝します。やきもきしながら読んでくださった人にも。
しばらくこういう系は続くと思いますが、よろしくです。