明るい話はありません

こういうこと書いてちゃいけないのかな。
まあいいや、どうせすべてがどうでもいいのには変わりない。
ここ数日本格的に鬱々としているので、ものすごいネガ攻撃なのでお気をつけください。
もうほとんど自分のサルベージ(?)用。
 
 
世の中には「男性は与えるもの、女性は受け取るもの」教というのがあって、年配に信者は多いが、彼らを見てて不思議なのは、女性が何を望んでいるか、男性が絶望的に感知できないという事実を度外視しているということだ。
(前も書いたけど逆も真なりという話は今は聞きたくないです。)
 
絶望的ってか、悲惨なほど判っていないと思う。
それとか、与えときゃいいだろ、になりがちとか。
うちの親なんかも、母親が望んでいることはなにひとつ父親により実行されず、いきなり、勝手に高価なテレビを買ってきて、「これがほしかったろう」とか「これを買ってやった俺はすごい」という話になって、母親もわしも「ぽかーん」という感じ。
食べ物とかも、ほんとに食べたいものは自分だけ食って、いらんもんになると、いきなり「たべやあ(名古屋弁)」とかやさしげに言ってきて、こっちが食べないと怒る。
与えさえすればいい、相手が欲しているかはどうでもいい、ということらすい。
まあ彼の父親(わしのじいさん)はさらに悲惨、ってか人類史上に残しておくのも悲惨な男なので、それに比べれば私の父親はましである。
(ってか、私は「ましかましじゃないか」でしか男性のレベルがはかれない。)
 
あと、こないだ、「家に帰れない男性たち」という特集をテレビでやっていて、まあ誇張はあるにしても、何か、ものすごく働いていたのに、家に帰らないのを浮気していたと奥さんに誤解され、それがどうしても許せず、以来ネカフェで寝泊りしている男性が出てきた。
まあそれはいいとして、最後にその人が、
「娘がいるけれど、娘のために家を買ってやりたいので、家に帰らなくても、とにかく仕事して、家だけは買ってやりたい」
……どーん。
いや、志は立派だろうよ。
でも何かが判っていない、この人は。
やっぱり、「与えさえすればおk!」病に罹患していると思う。

ってか、こういうケースに対する信者の方々の意見は判っているのです。
男性からどういうものを与えられようと喜びなさい、そういう行動を起してくれた、ということだけ評価し、あとはすべて女性が男性の意図を汲んであげましょう!
ということでしょう。
 
死にたい。
(死にたいに至るまでの地球の表面すべてを覆う呪詛は省略します。)