書くのが一番だ

でも、外側へ、の必要性はないんだが。
 
夕方upしたのは消した。
てか、あれは私個人用の日記に書いたものをアレンジしたもの。
アホらしくなったから消した。
自分の必死ぶりとか震え具合がアホらしくなったから消した。
 
 
本文。
怖い、で逃げ続けるのかなあ。
まあいいんだけどさ。
何せ、人生の最初の記憶が、私はひとりで部屋で寝ていて、となりの部屋で両親がケンカをしていて、と言うか父親が怒っていて、で、母親が、「優に聞こえるから声を小さくして」と言ったら、「あんなやつのことはどうでもいい」と父親が言った、というやつだからなwww
 
いや、悲惨自慢とか、悲惨比べをしてるんではなくてさ。
そうだったんですよ、という、事実の提示なだけで、ってか、これもひとつの痛みの注視なんじゃないだろうか、私が、圧倒的に、「人には絶対に受け入れられない」と思って、自分からは「絶対に」アクションできないのには、ちゃんと原因があって。
アクションできないから手に入れられないもの、その重要性からこれまでずっと目をそらしていたけど、それを感じきる段階なのかも知れない。
 
しかし、それには、ひとりで立たなくてはならない。
ってこれも悲壮な決心ではなく。
実質私はひとりではないわけで。
幾人かの親友と、多くの仲間がいるわけで。
そこに心を開けないというのがまた私の根深い孤独の原因でもあるのだが、心は開けるか? 開きかたを教えてくれる人はいる、でも同じようにはできないんだよね、だって、私は「受け入れられない」んだから。それが私の根底が信じてることなんだから。
 
「私は私であっていい」までは心に浸透した。
でも、「受け入れられない」というデフォ設定はまた別のものだな。
よく判った。
 
とりあえず、自分がどれだけ「受け入れられない」と信じているか、感じてみます。
で、過去を振り返って、「受け入れられていた」ことを思い出してみます。
自分の思いこみが塗り替えている記憶を、プレインなものに戻します。
 
そうすることでしか、私が手に入れるに値する未来は手に入れられない。
裏切られてるかも知れない恐怖とか、自分から手を挙げることのできない恐怖とか、でもそれらも私自身なんですよ、あるいは、シャイでどうしようもない、人見知りでどうしようもない、気づくと「ただそこにいる感じ」になってしまうのもまた個性で、、、でもひょっとするとそれは「私が私をそう見ている」ということなのであって、私の本質とは違うのかも知れない。
 
よし、とりあえず大丈夫だ。
裏切り、孤立、どんとこい。